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冷凍食品の手抜きズボラ弁当でも私の昼食は250円以下 [お金の事]

貧乏なので節約したいという事と、職場の食堂には行きたくない(1人で休憩を取りたい)という理由で、毎日お弁当を持参している。

食堂で食べると、なんだかんだで600円くらいになる。これでも安い方かもしれないが、弁当持参なら半分以下で済む。300円浮くとすると月に6,000円以上の節約になる。

一番安上がりなのは、やはり夕食を多めに作り、残りをお弁当に入れる事なんだけれど、平日の夜は納豆・和え物・味噌汁などで済ましてしまうので、お弁当に入れるおかずが無い(週末も焼きそば程度しか作らないズボラなひとり暮らし女)

そんな私のある日のお弁当はこんな感じだ。冷凍食品のハンバーグ2個、かぼちゃコロッケ2個、卵1個をレンジで作った卵焼き、前夜におかずとして作ったホウレン草胡麻和えの残り、冷凍ブロッコリー、ご飯0.5合にふりかけ、レトルト味噌汁…以上。

お気に入りでよく使う冷凍食品は、味の素の「お弁当あらびきジューシーハンバーグ」「エビ寄せフライ」、テーブルマークの「北海道栗かぼちゃコロッケ」、ニッスイの「3種の和惣菜」など。

近所のスーパーでは約160円で販売されているので、いつもまとめ買いをしている(が、セブンイレブンの冷凍食品は同じようなお弁当用のものが152円で販売されているらしいので、早速チェックしてみようと思う)

で、私のお弁当が総額いくらになるのか計算してみた。冷凍食品のハンバーグは6個入りで約160円。2つ入れるので1食分53円。かぼちゃコロッケも同じく2つ入れて1食分53円。卵は10個入りで約190円。1つ入れるので1食分19円。

ホウレン草は198円で3分の1くらい入れたかな?なので1食分66円。冷凍ブロッコリーは半額セールの時に約160円で買う。多分、1袋でお弁当10回分くらいはあるはずなので1食分16円とする。

ご飯は0.5合食べる。米0.5合は75g。いつも5kgの米を約1800円で購入しているので1食分27円。味噌汁は12袋入りが約100円なので1食分8円。

これらを合計すると、私のお弁当は242円。冷凍食品を使った手抜き弁当で242円なら悪くないと思う。食堂のランチ600円との差額は358円。21日勤務として7,518円も浮いた事になる。

料理嫌いの私でも冷凍食品弁当でこれだけ節約出来るので、普段ランチを外で食べている人やお弁当を買う人は、ちょっともったいないかも(お金に余裕があれば関係の無い話)

余談だけれど、以前は「コンビニ=高い」というイメージがあったので買い物は全てスーパーだったけれど、最近はコンビニブランドのものが安い。中でもセブンイレブンの品揃えが素晴らしく、よく行くようになった。

真空パックになっている惣菜がすごくいい。1人分で販売されいて、値段が121円~と手頃な値段で、しかも美味しい。お気に入りは切干し大根煮、ひじき煮、たけのこ土佐煮、きんぴらごぼう。

5個入りの冷凍餃子や、1人用の小さな冷凍エビグラタン、2個入りの冷凍たい焼き、冷凍のえだまめ塩味…なんかも値段はたったの103円で、しかも美味しい。本当にコンビニ進化したんだなぁ。

お弁当のおかずは休日にまとめて作って冷凍しておけば、もっと安上がりになるのだろうけど、いつも「面倒くさいなー」と思って結局やらない。




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久しぶりの服飾品購入で、久しぶりに女性としてうっとり [日々の出来事]

しばらく買い物をしていない。貧乏だからという理由もあるが、人と出掛ける事が殆ど無いので、服飾品を買わなくなってきたという理由もある。1人で出掛ける時も手持ちの物で間に合っている。

そんな私だが数ヶ月前に「財布が欲しいな」と思った。今使っている二つ折りの財布は、使い始めて7年が経ちそろそろ汚れも目立ってきたし、小銭入れが使いにくいので長財布に買い替えたいと思っていた。

と、思って数ヶ月が経った。汚れてはきているものの壊れたわけではないので、どうしようかな…貧乏だしな…お金はなるべく貯金に回したいしな…なんて考えながら日々を過ごしていた。

そんな時に、ぼくら社Blogの「孤独の闇に訪れる、痛い女というシャドウ」という記事を読んだ。その記事の中に痛い女になる事を防ぐ為の習慣が書かれていて、項目の中に「愛とうっとりを生活に散りばめる」というものがあった。

母性や女性性が出てくるようなものを生活に取り込み、女性ホルモンを正常化させよう!という事だ。それを読んで、自分が最近めっきり服飾品に心を踊らせていない事を思い出した。

というわけで、財布を買う事に決めた。

値段的にもデザイン的にも、いいなと思っていたものが2つあるのだ。両方とも同じ「Dakota(ダコタ)」というブランド。一つは小銭入れがガマ口になっている長財布で値段は16,000円くらい。

もう1つも同じ長財布だが、こちらはガマ口ではなくL字ファスナーになっている。値段は10,000円くらい。

小銭入れがガマ口の長財布は本当に使いやすい。ガマ口を買っておけば絶対に間違いないと私は思っている。デザインはガマ口の方が上品で高級感がある。

でも、普段私はデニムにカーディガンと服装がカジュアルなので、財布もL字ファスナーのカジュアルでシンプルなデザインに惹かれた。値段もこちらの方が安いし。

迷う。迷う。

楽天やAmazonで、何度も何度も画像を見比べて迷いに迷った。ダコタの財布は実際に手に取って見た事があり、手触りや質感などは分かっていたので通販で買おうと決めていた。

それにしても迷う。色は茶系と決めている。でもシンプルな見た目を取るか、使いやすさを取るか…。長く使うのであればガマ口の使いやすさは魅力だ。しかし「うっとり感」を味わうには、自分の気に入ったデザインを選びたい。

迷って、迷って、迷って。

そして、購入した。今は時々バッグから取り出しては眺め、使いやすいカードの位置を考えては入れ替え、そして眺め、大好きなASKAさんの曲を聞きながら、新しく私の仲間に加わった服飾品にうっとりしている。

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自己肯定感が薄れても、それでも自分なりに維持をする [性格の事]

いつも楽しませてもらっているはてなブックマークで最近、自己肯定感について語られている記事があった。私は30代前半まで自己肯定感も自尊心も低く、自分自身を否定し続けていた。

自分が嫌いだったし、随分と泣いた。私が私という人間を「これでもいい」と徐々に受け入れられるようになったのは35歳になった頃だ。

36歳の今、自分の事が好きか?と問われると「大好き!」とは言えないが、「まぁ、私という人間も悪くはないよ」と自己否定をしない程度にはなった。人生の中盤に差し掛かった35歳という年齢での自己肯定は少々遅かったかもしれないが、そこは悔やんでも仕方がない。

そんな築き始めた私の自己肯定感が薄れる瞬間が時々ある。それは、多くの人が認めている場所、また同世代が属している場所など、そういった場所に属せていない自分を感じた時だ。

仕事、職業、出産、子育て、社交性、経験、年収、友達、経歴、飲み会、結婚、家事、建前、仲間、恋人、友情、絆、趣味、恋愛、協調性、我慢、優しさ、人付き合い、大人…。

「こうあるべきだ」という声は様々あるが、私はそこに属せていないと感じる事が多い(このブログでも結婚について度々書いている)。それらを以前ほど気にする事は無くなったものの、まだ完璧ではない。

「”自分らしく”を貫きたい」「私にとってはこれが生きやすい」そう思っていても周りから否定の声を聞けば不安になる。「やはり私は…」と、せっかく築き始めた軸がブレそうになる。

自己肯定感や自尊心が欠落してしまう理由に、幼少期の親子関係が上げられる事が多い。考えてみると私にも多少は思い当る節がある。が、本当にそれが原因かは分からない。なので私にとっては原因よりも改善方法の方が重要だ(原因が分かる事で改善方法を導き出せるのかもしれないが)

自己肯定感を高める為の方法は検索すると色々と出てくるが、何が効果的なのかは分からない。ただ、私個人が救いになっているもの、頼りにしているもの、大切にしている事。それは、ただひとつ。誰かに「共感」する事だ。

人間は1人では生きていけないと言う。それは確かにそうで、病気になれば医者の世話になるし、お金が必要ならば雇用してもらわなければならないし、自営なら顧客が必要だし、食べる為には産業に従事している人のお世話になる。困った時には誰かにタダで助けてもらえる場合もある。

「絆」「助け合い」「お互い様」「思いやり」など、そういった直接的な触れ合いは確かに大切。しかし、誰とも絆を結べない天涯孤独な人間もいるわけで。

「人間は1人では生きていけない」とは、そういった直接的な事ではなく、自分と同じ思いを抱えている誰かに共感する事で自分の心を安心させたり、誰かの言動に感化される事だと私は思っている。

どこかにいる(いた)その人の言動を心の支えにする事で、私は自己肯定をしている。だから自分の築き始めた軸がブレないように今日も誰かの本を探すし、誰かのブログを読むし、誰かの生き方を見つめては共感を探す。

様々な共感を見つけ出し、それらをレゴブロックのように組み合わせて、”私”を作り上げていけばいいと思っている。




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私は駄目だと思いながら、こうして今日も引きこもる [性格の事]

今に始まったことではないが、職場環境が辛い。私の職場は私を含めた3人体制で業務を行っている。比較的暇なので仕事内容的には楽だ。しかし同僚との関わりが辛い。いじめ等ではなく、単に”反りが合わない”という、よくある事だ。

私がここで働き始める以前、この部署は人の入れ替わりが激しかったそうで、環境に同情してくれる人もいる。とは言っても、私と反りが合わない2人は他部署の人間と仲良くしているので、私の方に問題があるのかもしれないとも思う。そんな環境を辛い辛いと思いながら数年が経った。

元々、自己中心的で人に合わせられず、孤独がお似合いの私だが「人と関わりたくない」という気持ちは、この職場に来てより一層強まった気がしている。とにかく1人になりたい。すぐにでも1人になりたい。

我慢している平日の反動からくる、金曜の心の踊りようといったらない。そしてまたやってくる日曜午後の憂鬱。サザエさんが始まるもっと早い時間から私の憂鬱は始まり、月曜を迎えたくないという気持ちで就寝時間が遅くなる。

帰宅後と週末、1人になる事でストレスの解消は出来ているので爆発するような事はない。ただ、このような歓喜と憂鬱という振り幅の大きな感情が、波のように毎週毎週やってくると「こんな気持ちをずっと感じながら生きていくのか…」と人生に嫌気がさしてくる(人生なんて言葉を使うのは少々大袈裟だろうか)

職場では、同僚の終わらない雑談や歌声、奇声のような笑い声が、私には動物の鳴き声や車の騒音のように聞こえ、不可解で不愉快で耳障りだ。時々トイレに逃げ込み気持ちを落ち着かせるも、気休めにしかならない。

帰宅後はなるべく静かな環境で過ごしたいと思うようになり、無意味にテレビをつける事はなくなった。無音もしくは、心地良い音や音楽、心が弾むラジオ番組で耳を支配したい。そして何も考えずに、ぼーっとしたい。

この職場に居続けているのは私自身の選択だ。嫌なら辞めればいい。人間関係は運だとしても、仕事自体が好きであればきっと我慢も出来るだろう。仕事も合わないのであれば職を変えればいい。

しかし、こうして辛い辛いと言いながらも今の仕事を辞められないのは、のほほんと生きてきた自分の社会的能力の無さが原因だ。私に出来る仕事は少ない。自業自得なのだから我慢するしかない。

人に合わせられない私は、おそらく今後、別の職場に行っても「辛い辛い」と愚痴るだろう。どうにか働いて生活を維持しているが、基本的には社会不適合者なのだ。ギリギリのところで踏ん張っているだけだ。

生活を維持しなければいけない。その為にはマイペースを封じる必要がある。時々世捨て人になりたいなんて思う事もあるが、そんな勇気も無いのだし。




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低所得の私はパラサイトシングルが羨ましいと思っている [一人暮らしの事]

私のひとり暮らし歴は15年近くになる。生まれ育った家はもう無く、両親も賃貸住宅で暮らしている。

ひとり暮らしは気楽だ。特に私のような引きこもりがちな人間にとっては、誰からも干渉される事が無いというメリットは大きい。もし実家暮らしをしていたら、36歳にもなって週末デートをする事も無く、友達と出掛ける事も無く、1人でのんびり過ごす私に、普段は干渉しない両親でもさすがに口を出さずにはいられないだろう。

私はひとり暮らしを特に立派な事だとは思っていない。1人分の洗濯物なんて大した量ではないし、凝った料理が出来なくても、ご飯と味噌汁を作る事が出来れば食事はどうにでもなる。掃除だって週に1度軽くすれば、不衛生で病気になるような事はない。ゴミ出しも余程のめんどくさがりでなければ誰でも出来る。

実家暮らしの人は”パラサイトシングル”なんて揶揄される事もあるけれど、私と同世代であれば親の介助や介護が始まる事もあるし、子供の収入で親を支えている場合もある。実家暮らしだからと言って、全ての人が親に甘えているというわけでもないだろう。

それでも、私は時々実家暮らしの人を羨ましいと思う事がある。前の職場にそのような同世代女性がいたが、彼女は裕福そうだった。きっと実家に幾らかのお金を入れているとは思うが。

毎日持参している弁当の中身は昨晩の夕食の残りと母が朝作ったおかずで、それを本人が弁当箱に詰めていると言っていた。煮物などが入っていて美味しそうだ。それに比べ私の弁当は、レンジで作った卵焼きと冷凍食品の詰め合わせで、ちょっと恥ずかしかった。

自分の衣服は自分で洗濯していると言っていたので、甘えっきりというわけでもなさそうだが、そんな事よりもやはり金銭面に余裕がある事が羨ましかった。いつも綺麗なネイルとまつげパーマ。私はそういう類に興味は無いが、同じくらいの収入でも随分暮らしに差があるなと思ったものだ。

彼女を見下してはいないつもりだが、嫉妬心はあった。私が「ガス代を節約したい」という話を周りとしていた時、彼女が「すごいね、私そういう事全然分からない」と素直に言った。それを聞いて私は「だからパラサイトは…」と心の中で呟いた。やっぱり嫉妬心から少し見下していたのかもしれない。

そんな思いからか、男性と出会いがあっても実家暮らしだと分かると、何か事情が無ければ敬遠したくなる。

とは言え、親も自身も健康で普通に働いているのであれば、実家暮らしの方が心にも貯金にも余裕があるのは確かだ。どんなに世間から「パラサイト」と言われたところで、お金の事を考えればわざわざひとり暮らしをする必要性は無いだろう。

低所得の私にとっても、ひとり暮らしは気楽な反面、金銭的にキツイと感じる事がある。私にも実家があったら帰っていたかもしれない。

多分どちらが偉いわけでもない。先にも書いた通り、ひとり暮らしは特に立派な事だとは思わない。誰でも出来る事だ。でも…少しくらいは何か身になっているといいなと思う。が、15年のひとり暮らしで身に付いた事が何も思い浮かばない。




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美容院はやっぱり苦手で、どうにも落ち着かないという話 [性格の事]

ホットペッパービューティーのポイント1000円分が、月末で期限切れになるので美容院に行ってきた。美容院が苦手な私はあまり頻繁に行かないので、そろそろ髪がモッサモッサになってきてヤバいなと思っていた。そんな時に"ポイント期限切れ"が「女なんだから行け」と背中を押してくれた。

今回行った美容院は初めてのお店で「自宅から近くてカットが安くて、ホットペッパービューティーから予約が出来る」という理由で選んだ。ホットペッパービューティーから予約するとポイントを使えるのはもちろん、「静かに過ごしたい」or「楽しく過ごしたい」が選べるので人見知りな私には非常にありがたい。もちろん私の選択は「静かに過ごしたい」だ。

ちなみに私は、いつも行く美容院は決まっておらず数軒をグルグルと回っている。それは、1つの店に長く通うようになり、美容師さんと顔見知りになると"弾む会話"をしなければいけないような気がするからだ。そんな事は無いのかもしれないが、そう感じるのは私だけじゃないはずだ、きっと。

(さらに、ちなみに。私は美容院でも飲食店でもアットホームを売りにした店が苦手)

今回はシャンプーとカットをしてもらう事にした。私を担当してくれた美容師さんは30歳くらいの男性だった。初めて来店する美容室だったので、私はちょっと緊張していた。

まずはシャンプー台へ。頭をゴシゴシ・アワアワしてもらい「痒いところはありませんか?」と聞かれたので「大丈夫です」と答えると、お湯でサー。気持良く流してもらっている最中、私はちょっとした失態を犯してしまった。

隣のシャンプー台の男性スタッフがお客さんに「流し足りないところは無いですか?」と聞いているのに対し、「ありません」と私が答えてしまったのだ。

「あ、あれ?私じゃなかったですか?あはは^^;」と笑ってごまかしたら、「僕も聞こうと思っていたところだったので丁度良かったです」とナイスフォロー。

その後、席へ移動。そしてチョキチョキ。私の髪は顎くらいの長さなのだけれど、左右の長さを確認する時に美容師さんの手が私の頬をかすめる。その時、私はいつも「あわわ」と少し恥ずかしい気持ちになる。

(じゃあ「女性スタッフを指名すればいいじゃないか」という感じなのだがそうしないのは、本当は心の奥で「あわわ」となりたい欲求があるのかもしれない)

美容室のオシャレな雰囲気が苦手な私は、どうにも落ち着かない。雑誌ananに集中しようとするものの、中身に興味が持てない。仕方ないので瞑想しようと思い、膝に手を置き目を閉じていたら「あ、本とかスマホとか見てくれて全然大丈夫ですからね(笑)」と言われた。

緊張しているように見えたのだろう。もう36歳だというのに…。とりあえず今日の美容室はスタッフが多く、アットホーム感は一切無く、なかなか良かったので、しばらく通って様子を見よう。




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内向的人間のストレス解消&エネルギーの補充方法 [性格の事]

昨日、「出会いに積極的になった方がいいと思いつつ、合コンに行きたくない」という内容の記事を書いた(合コンという出会いの場に今回は行きたくないなと思う)。

その記事に対してもらったコメントの中に「人と会ってエネルギーをもらうタイプ・エネルギーが出て疲れてしまうタイプ」という言葉があり「あぁそうだった」と、改めて自分の性質や普段私が感じるストレス、解消方法などについて考えてみた。

自分の外側にある物事に価値を見出し、それを大切にする外向的人間は、他人と触れ合う事がエネルギーとなる。一方、自分の内側(自分の考えや世界)に価値を見出し、それを大切にする内向型人間は、他人と触れ合う事で気疲れしエネルギーが消費されてしまう。

(関連記事:内向的な人と外向的な人の違いをまとめるとこんな感じ

人はどちらか一方に属しているわけではなく、両方が混じりあって形成されているのだけれど、私の性格はかなり内向的人間に偏っていると思う。その為、気心が知れた人以外と過ごす事で気疲れし、エネルギーが消費されてしまう。

というわけで「自分の気持ちに素直になろう」と都合よく考え、内向的人間の思考を肯定するという事で、今回の合コンは断る事にした(説明がまわりくどい)

そんな感じで、合コンや飲み会などの場でエネルギーを消費してしまう私は「みんなでパーッと遊んでスカッとストレスを解消しよう!」という考えがまるっきり無い。では、どうやってストレスを解消しているのか?

考えてみると、そもそも私は普段あまりストレスを溜め込む事が無い。イライラしたり疲れたりとストレスを”感じる”事はあっても、それを”溜め込む”事はないように思う。

私が普段感じているストレスの1つは、苦手なタイプの人に囲まれた職場での人間関係。これは帰宅し、1人の時間を過ごす事でストレスを解消出来ている(なので今回の合コンも大事な休日を潰したくないという気持ちが強かった)

独身でひとり暮らしの私は、仕事以外ではほとんどの時間を1人で過ごしているので、自然とストレス解消&エネルギー補充が出来ているのだ。
(゚∀゚ノノ” パチパチ☆

それともう1つあるストレス。これは余談になるが、引っ越してきた隣人がうるさい。常に誰かとの話し声が聞こえ、それが深夜に及ぶ事もある。騒いでいるわけではなく普通の会話音量なのだが、どうにも私の部屋に伝わってきて気になる。

これに関しては毎日ではないので、とりあえず不動産屋には言っていない。私は部屋で心地よい音楽や音を、ワイヤレスイヤホンで聴きながら過ごす事で対処している(これは微々たる騒音への対処法だが、音楽や音を聴く事もストレス解消になるそう)

他にも私のストレス解消&エネルギー補充方法として「気心の知れた人と語り合う」というものがある。ただ友人が少ない私は、これを実践できる頻度がかなり少ない。

その代わりとしてブログや本を読む。他人との共感ポイントを見つけたり、他人の考えを読んで「なるほどなぁ」と納得し、頭の中が整理されると余計なモノが排出され、エネルギーが補充されるような気待ちになるのだ。

こうして考えてみると、私のように引きこもるタイプの人間ほど上手くストレスを発散できているのではないか?と思う。さらに私の場合、こうしてブログでも想いを綴っているので、常にモヤモヤしているように見えても、実はそれなりに精神は安定しているのだと思う。

(ブログを書いている人は、内向的要素が多少なりともあるのではないかな?と私は密かに思っている。それは内気やネガティブという事ではなく、自分で考える事が好きで、その考えに興味を持っているという意味)

そして私とは逆に、人と触れ合う事でストレスを発散するタイプの人や1人でいる事が寂しいと感じてしまう人は、ストレス発散の為にお金を使ったりお酒を飲んだりで、実は結構大変なのかもしれない。…と、私のような「駄目な人」と思われがちな内向的人間を正当化してみたりする。




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合コンという出会いの場に今回は行きたくないなと思う [結婚や恋愛の事]

数少ない友人であるMちゃんから合コンに誘われた。以前にも誘われて行っている。が、その時は女性2人vs男性5人という恐ろしい展開になり、なんとか井森美幸キャラで乗り切ったが、そもそも飲み会嫌いな私はほとほと疲れてしまった。

関連記事:渋々行った合コンで男性陣がしてくれた質問が嬉しかった話

で、今回の合コンも男性側の中心人物は前回と同じ人らしい。もうその人とMちゃんは同志のようになっている。そして私は参加するべきか悩んでいる。Mちゃんには会いたいし、滅多にない友人からの誘いは断りたくない。が、合コンに関しては気が乗らない。

というのも。

明るくて社交的なMちゃんは、どこでどう出会うのか世間では高収入と言われる男性とよく知り合う(勤務先が有名企業だったり)。前回の合コンもそういう方々で、私としては自分の身の丈に合わないという事もあり、申し訳ない気持ちが先行してしまった。

私36歳。男性陣34歳。

34歳で高収入の男性が合コンに参加するのなら、当然20代女性を望むだろう。自然な出会い方であればそんな事は気にする事もないだろうけど、これは楽しい楽しい”合コン”という男女入り乱れてのイベントなのだ。

そこに同世代とはいえ、卵子の老化が止まらない2歳年上の私が「同世代だねー☆うふ」なんて堂々と顔を出すのは、なかなか勇気がいる。

34歳のMちゃんは本当に天真爛漫で育ちも良く、活発な素敵女性。結婚願望を抱き始めたのが最近の為、まだ独身。さらに何故か「知り合った男性が既婚者だった」というパターンが多いので、なかなか良縁に恵まれずにいる(決してアホな子ではない)。持ち前の明るいキャラは年齢を感じさせないのでMちゃんは問題無いだろう。

しかし、私はやはり気が引ける。年齢の事だけではなく、そもそも私は飲み会やバーベキューという類のノリが好きではない。さらに、養命酒という健康飲料で息苦しくなるほどの下戸でもある。

私はきっと合コンが終わった後、慣れないあの「初対面だけどみんなでワイワイ楽しいね!」という雰囲気にどっと疲れ、いつもの能面顔で満員電車に揺られながら、虚しさ溢れる面持ちで自宅に戻る事となるだろう。簡単に想像がつく。

合コンは土曜日。いつも楽しみにしている大切な休日を、そんな風に使ってしまうのはもったいないとも思う。DVDもレンタルしているし、図書館で借りた本の返却期限も迫っているし。

だが、しかし。もう少し出会いに積極的になった方がいいのか…という気もしている。だが、しかし。可能性はゼロに近いであろう出会いの場の、その精神的コスパの悪さは無視出来ない。

「だがしかし、だがしかし…」を頭の中で繰り返しつつ、とりあえず美容室に予約を入れた。ホットペッパーポイント1000円分が月末で期限切れになるから。それにしても、私の年齢で”合コン”って普通するものだろうか?(人間関係希薄な私は世間の”普通”がよく分からない)

でもきっと、やはり私は今回の合コンには行かない(なんなんだよ!)。美容室に行った後はカルディでドライマンゴーを買い、ドトールで500円のケーキセットを猫背になりながら黙々と楽しみ、ハニワの様な顔で人間観察をし、本を読みブログを読み、ラジオを聴きながら1時間ほどかけてテクテク歩き帰宅して、1人でドライマンゴーを齧りながら土曜の夜を楽しむのだ。

こうして私の出会いは後回しになる。




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欠陥品ではないけれど既婚枠に入るには努力の必要も… [結婚や恋愛の事]

「あなた、そんなんじゃ結婚できないよ!」と、もし言われたら私は「はぁそうですか。じゃ、それでいいです」と返すだろう。その言葉を発した私の心の中の思いは一つというわけではない。

したくないし、しなくてもいいし、出来ないし、どちらでもいいし、気楽だし、楽しいし、したい気もするけど、世間体は気になるけど、こんな性格だし、面倒だし、好きな事したいし、恋人はいた方がいいけど、姑とか大変らしいし…などなど。

そんな私が何かの拍子に「やっぱり私、結婚したい!」と思った時、私はまず”努力”から始めなければいけない。それは36歳という年齢の事ではなく、性格の方だ。

私は”結婚に向かない性格”というものは決して悪ではないと思っている(当たり前の事だ)。でも世間的には○歳以上で結婚していない人には”人間性に欠陥”があるという、わりと大雑把な見方をされる場合が多くある。

「そんな風には思っていない!」と強く言ってくれる理解ある既婚者の方も多くいるのは有り難く、でもやはり風潮はあるわけで、実際に結婚出来ない(していない)人の性格の一部分を分析する人もいる。そこには”既婚”という武器を手に、上下の関係性を誇示する(無意識の)思惑が透けて見える場合があり、なんとも言えない嫌な気持ちになったり。

と、少し熱くなってしまったが。

20代で恋人がいて、2人はそれなりに喧嘩もしながらお互いに適齢期を迎え、そのままアラサーで入籍。という流れが一般的で”正常”とするならば、36歳未婚の私は正常ではない領域に踏み込んでいる。

私は”人間”という大きな枠の中での自分は、多分”欠陥品”ではないと信じたいのだが(自信はない)ただ、人間という枠の中に存在する”既婚”という枠では欠陥品にあたるのだろうと思う。

そんな既婚枠に入るには、正常品は努力の必要も無く流れですんなり入る事が出来るのだろうけど、欠陥品の私は努力をしなければ入れない。入るには「だから結婚出来ないんだよ」と指摘される部分を変えなければいけない。ちなみに”直す”のではない。”変える”のだ。

但し、私は独身枠では正常品だ。独りで映画を楽しみ、独りでカフェを楽しみ、独りで買い物を楽しむ。それらを”寂しい人間”と思うようになったら、既婚枠に入れるように自分を変える努力しなければいけない。が、今のところ自分を変える予定は無く、独身枠にどっぷり浸かっている。

それはそれでいい。

ただ既婚枠はサイズや存在感が大きく、それに比べて独身枠はコンパクトサイズなので、私のような人間は肩身が狭いというのがなかなか辛い。気にしていないつもりでも、風潮が勝手に視界に入ってきたりして。

もう少しサイズのバランスがよくなればいいな…なんて思うけれど、そうなると少子化どーすんだよ!という声が上がったりするわけで、どちらにせよ独身枠は肩身が狭い。

かと言って、無理をしてまで既婚枠に入る気もなく、ただ既婚枠のサイズの大きさは羨ましく、独身者に上から目線で欠陥扱いされる心配も無い既婚という立場に「人間という枠では同じなのにね」と小さなやっかみを感じる事もある。

こんな事をよく考えるので似たり寄ったりの記事が増えている。




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今日人生が終わるとしたら、私の後悔はなんだろう? [考え事、感じた事]

今日で人生が終わるとしたら、私はどんな事を考えるだろう?と、ふと考えた(別に死にたいなどと暗い気持ちになっているわけではない)。

親に挨拶や、友達にお礼や、部屋の整理や、仕事の引き継ぎなど…そういう身の周りの事ではなく私自身の事だけを考えた。もし今日で人生が終わるとしたら、私は「せめて最後の日くらいは、人や社会の役に立ちたい!」とは全く思わない。

好きなものを食べて、コーヒーを飲んで、好きな音楽聴いて、お笑いDVDを見て、動物を撫でて、YouTubeを見て、散歩に行って、ラジオを聴いて…そんないつもと同じ、もしくはいつもより少し贅沢な1日を送りたい。大勢の人と騒いで過ごすのではなく、1人でのんびり過ごしたいな…と。やはりそれが私の幸せなんだなぁと、改めて思った。

じゃあ今日で人生が終わるとしたら、私は過去を振り返り何を後悔するだろう?36歳未婚の女性が考えそうな事と言えば、結婚しなかった事や子供を産まなかった事だろうけど、私はそこに後悔は感じないだろうな。そこは割と、どうでもいい。

じゃあ仕事の後悔は?と考えると、それもピンと来ない。子供の頃は歌手になりたいとか、バスの運転手になりたいとか、ディズニーランドで働きたいとか、それなりに将来の夢はあったけど、大人になってからはどうしても就きたい職業は特に無かった。今の仕事は嫌だけど、好きな仕事をしていない事に対しての後悔は特に無い。

それよりも。

「自分が”好き”と思えるモノ」を、もっとたくさん見つけ出しておけば良かったな…と思った。夢中になるものから、結構好きというものまで。小さな好きも大きな好きも、”好き”をもっと数多くかき集めて、それらに夢中になったり没頭したり、ニヤニヤしたり。いつも生活に”好き”が関わっているような人生を送りたかったなと思った。

そう考えると。私にとっての幸せや理想の生き方・人生で大切だと思う事は、好きなモノを見て聴いて触って感じて、毎日ほんのりワクワクしながら過ごす事なんだと思う。とは言え、何も考えずに生きていても”好き”は自動的には増えない。

様々な”好き”を数多く見つけ出すには、自ら隅々まで探したり、何でも試してみたり、根気よく続けたりする事も必要となってくる。”好き”は自分の周りに勝手に集まってきてはくれない。好きなモノに囲まれた生活を送るには、どこにあるか分からないそれを自ら見つけ出す為の努力も必要となってくる。

私はまだ多分、明日も明後日も来週も来月も来年も生きる、多分。

今日で人生が終わると考えた時に後悔した「”好き”をもっと見つけ出しておけばよかった」という事が、きっと私にとっての幸せなんだろう。なので今後の人生は、もっと意識して”好き”を増やしていかなければ…と思った。

惰性で過ごしている時間が私には多くある。その時間を”好き集め”に充てれば、人生が終わる時に満足して目を閉じられるかもしれない。というわけで、”好き探し”は今後の私の人生の課題としよう。




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