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料理をしない一人暮らしの私でも、このくらいなら作る

一人暮らしの私は料理をしない。でも貧乏なので一応自炊をしないと暮らしていけない。作るのは味噌汁、サラダ、和え物、焼きそば、うどん、一人鍋、カレー…くらい。

そんな私は砂肝や豚タン、カシラ、ハツ、ホルモンなどの肉類が好きで、スーパーでよく買う。ほとんど炒めて食べるが、砂肝は酢の物にしても美味しいので、お気に入りだ。

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名古屋・関西・九州などでは「砂ずり」と言うのだそう。砂肝という部位は鶏の消化器系にある器官で、食べ物を細かく砕いて消化を助ける為にある。脂身が少ないので焼き鳥の中でもカロリーが低く、鉄分がホウレン草よりも多く含まれているので、女性に最適な食べ物?噛みごたえがあるので、噛む回数も増えてダイエットにはいいかも。

そんな素敵な砂肝を先日買ったので写真を撮ってみた。こんな感じで酢の物を作る。

銀皮(薄皮)が硬いので包丁やハサミで切れ目を入れて手でメリメリと剥ぐ。これが超面倒くさい。けど砂肝好きだから頑張る。この銀皮は揚げたり炒めたりすると美味しいらしいので、今度からは捨てずに使おう。右は塩揉みしたキュウリ。

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3ミリ幅くらいにスライス。2分くらい湯でる。アクが出て、肉の色が変わる。

酢、砂糖、醤油、塩なんかで和える。ポン酢を使ったり、生姜やごま油を入れる人もいる。私は適当なので、興味がある方はクックパッドでご確認を。で、2時間くらい冷蔵庫へINして味を染み込ませたら、最後にすり胡麻で和えていただきます。コリコリ、シャリシャリ、美味しいな。

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いつまでも1人じゃいられないのか…やっぱり寂しい? [結婚や恋愛の事]

36歳独身の私は、別にずっと1人でもいい…と今は思っている。本気で友達が欲しければ習い事にでも行くし、本気で恋人が欲しければお見合いパーティーに通うし。どうしようもなく寂しければ地元に帰って両親の傍で暮らすし。でもそうしないのは、今の私は「別に今のままでいい」と思っているからで。

「今は良くても歳とったら寂しくなるよ」と言われれば、そうかもしれないなぁ~と漠然とは思うけれど、ピンと来ない。今は平気だから。1人でも寂しくないし、そこそこ快適だから。

きっと10年後、40代後半くらいには更年期障害が始まって、でも1人だから辛いと言う相手もいなくて、頼りは病院の医師とネットの掲示板のみで。その頃には両親が死んで、わんわん泣いたところでもう頼りに出来る人はいなくて寂しくなるのかもしれない。

そうなった時に「若い時に真剣にパートナーを探しておけば良かった」と思うかもしれないな。でも今は平気だからピンと来ない。

そのまた10年後、50代後半は仕事も無くて、体力が落ちてきているのにパートとバイトを掛け持ちして、やってる仕事は掃除のオバサンとスーパーのレジかな。大学生のバイトの子に「あの人ってバツイチなの?お子さんとかいないの?え?未婚なの?マジで?」とかコソコソ言われて。

そのまた10年後、60代後半はもう体力なくて、バイトの掛け持ちなんて出来なくて。座って出来る宝くじ売り場か、パチンコの景品交換所の仕事が見つかればラッキーだけど、競争率が高くて採用されず。腰が痛いのに頑張って立ち仕事して。

年金がもし貰えなかったら餓死か。

なんて、おひとりさまの暗い未来を考え出すと、やはりパートナー見つけなきゃ!って思うけれど、こんな私の相手なんて見つかるのだろうか?私をずっと大切に思ってくれる奇特な人なんているのか?そしてそんな私も、相手をずっと大切に思い続ける事なんて出来るのだろうか…。

だって私、付き合った事はあるけれどプロポーズなんてされた事が無い。今後もし出会いがあってもされる自信は全く無い。いや結婚がしたいわけじゃないのだけれど「一生君といたい」なんて思われた事が無いし。

もし現れたとしても、離婚すればまた今と同じ場所に戻るだけだ。「もし」なんて考える事はナンセンスだけれど。でも、それならやはり収入の確保の方が大切か。

何かしら積極的に動かなければいけないという思いはある。でも全く腰が上がらない。ちゃんと働いて、親元から離れて自立して生活しているのだから、無理にしたくない行動をする必要は無いはず。

じゃあ、どうして不安になるんだよ…私の心!と、なんのきっかけも無く急に現れる私の中のモヤモヤになんだか苛立つ。「1人がそこそこ快適」なんて本音なのか…よく分からなくなる。




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飾りのパセリや付け合わせ野菜もペロリと食べちゃう人 [性格の事]

嫌いではなく、そういう人が好きという話。

以前テレビでギャル曽根さんが大食いをしていた時、その食べ方の綺麗さ(口の周りが汚れないようにする事はもちろん、米粒も皿に残さない)に感激して、それ以来私も食べ終わった後の皿がキレイになるよう意識するようになった。

なるべくソースも皿に残らないよう、パンがあれば必ずつけて食べる(マナーの問題はフランスはOK、アメリカはNGなど国によって違うらしいが、私は日本のリーズナブルな店にしか行かないので気にしない)

海老フライの尻尾はカリカリしていて美味しいので、もちろん食べる。サンドイッチに乗っているパセリも、バニラアイスに乗ったミントの葉も、ハンバーグに乗ったクレソンなど、飾り野菜もとにかく全部食べまくる。

ちなみに私の姉は、刺身のつまもキレイに食べる人なので見ていて気持ちが良い。ちょっと話は違うけれど、ブロッコリーを茹でる時には茎の芯の部分も使う。

そんなふうに皿に乗った食材を全て食べるようにすると、食べ物に対して「もったいない」という意識が働くようになり、無駄にする事に対して罪悪感を抱くようになってくる。

以前、テレビ番組で鮭の皮は食べる?食べない?という街頭アンケートをしていて、結果は半々だった。私はそれまで鮭の皮は当然のように残していたので「食べるものなのか!」と驚いたし、残していた事を少し恥ずかしく思った。

皮にはコラーゲンが豊富で好きな人も多いと知り、「ちょっとヌルヌル感が気にならないでもないが…」と思いつつ、勇気を出して食べてみると意外とイケた。なので、それからは食べるようにしている。個人的にはパリパリに焼いた方が好きだ。

余談だけれど、この街頭アンケートを受けた男性が「鮭の皮を食べる人は可哀想。貧相。妻が食べていたらやめなさいと言う」 みたいな事を言っていて、何とも嫌な気持ちになった。

そんな感じで私は「皿をキレイに」を心掛けて食事をしているのだけれど、そうなると相手の皿も少々気になるようになってくる。思わずチラリと見てしまう。

満腹で残すという分には仕方がないと思うのだが(私も食べきれずに残してしまう事が時々ある)、そうではなく、完食しているのに皿にご飯粒がたくさんついていたりすると少し残念に思ってしまう(´-ω-)ウムー。

だからといって相手を嫌いになるわけではない。でもキレイに食べる人だと嬉しい。以前、付き合った人と何度目かのデートをした時、食事が終わった私の皿を見て「キレイに食べるね」と褒めてくれ、それからは彼もキレイに食べるようになった。

彼はそれを「合わせなきゃいけなくて面倒くさいな」と感じたか、それともキレイに食べる事を心地良く感じたかは分からない。こればかりは価値観の違いというか性格や習慣の違いもあるので、自分と違うからといって否定はしないし、強要もするつもりもない。

けれどキレイに食べる事が相手にマイナスな印象を与える事は無いし、食べ物への感謝の気持ちにも繋がるので、これからもこの習慣は続けたいと思っている。

皿洗いも楽になるしね。





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男性芸能人が夢に現れるのは、欲求の現れなんだろうか [結婚や恋愛の事]

数ヶ月に1度くらいのタイミングで、芸能人の夢を見る事がある。どの夢も男性タレントなので、おそらく私の中にある異性への欲求が夢として現れるのだろう。なんだかなぁと思うが、きっとそれが本心なんだなぁ。

いつもイケメンタレントが多い。とは言っても特にファンというわけでもないのに急に出てくるから不思議だ。時間が経つとほとんど忘れてしまうのだけれど、覚えているのは福山雅治さん、キムタクさん、伊藤英明さん…辺り。

印象的で今でも覚えている夢は、パイプ椅子に座っている香取慎吾さんに、私が土下座をしているというもの。私の密かなMの部分が夢に露呈されたのだろうか。

で、日曜日にまた夢を見た。今回はバナナマン日村さん。エレベーターで目を見つめ合いながら、アハハウフフとこそこそイチャつき、お互い腰に手を回しベタベタしながらどこかの階段を降りていた。

今までイケメンの夢しか見ていなかったのに、ここにきて日村さん。しかも今までに無いイチャつきっぷり。前日にテレビで見たわけでもないのに日村さん。いや好きだけど日村さん。

“笑っていいとも!フィナーレ”でのタモさんへの挨拶で、郷ひろみさんのモノマネを始めた時は「バナナマンやっぱりいいわ~」とか思ったし、今さら郷ひろみさんのモノマネで「リー」とか言っちゃうあたりも好き過ぎるのだけれど…。なんで夢に?

で、夢に異性のタレントが出てくると必ず気になる存在になってしまうわけで、今回も漏れなくそうなった。

とりあえず起きてすぐにバナナムーンGOLDのポッドキャストを聴いた。やばい、なんだか日村さんの声が渋く感じる。素敵。録画保存してある笑っていいとも!フィナーレももう一度見た。日村さんの郷ひろみのモノマネ、1ミリも似てないけど素敵。

そう言えば以前、友達が「(芸人の)ワッキーが夢に出てきてメチャクチャ好きになった☆」と言っていて私は「げぇー」と言った事があったっけ。

どうして夢に芸能人が出てくると好きになってしまうのだろう。これって脳科学者なんかが、どうにか頑張ったら惚れ薬的なモノが出来るんじゃないかと思う。

で、この芸能人が出てくる夢について何か意味があるのか?やはり36歳恋人無しの欲求不満が爆発する予兆なのか?気になって「夢に有名人」で検索してみた。そしたら、意外にも良い夢らしい。
>>
有名人のパワーを浴びるという暗示。実力が発揮できる。挑戦していることを止めない方がよい。有名人と夢の中で友達関係にあった場合などは、その人を真似したりすると意外な才能を発揮するかも。
<<
その人を真似したり…って。あどでーぼぐねー…って子供の頃の貴乃花うまく出来ないんだけど。




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私のコミュニケーション能力(外面)は30分までいける [性格の事]

私は人とのコミュニケーションが好き!という人間ではない。けれどコミュ障という程でもなく、初対面の人や慣れない人とも人並みの会話は出来る。短時間なら。

私のそれには時間の限度があり、どんなに長くても30分程度。なので1回につき2時間程かかる飲み会のような場では、最初の30分に全力を注いでしまうと徐々に静かになっていき、後半「どうしたの?」と心配される事になるので、最初からマイペースで喋らない自分を醸し出す事にしている。

そんな私は1年に1度、少々憂鬱な事がある。それは私のボロ愛車の点検だ。毎年お世話になっている近所の自動車整備工場は家族と数人の従業員で経営している。

(余談だけれど、このボロ愛車は5年前に20万円で購入した。購入当時、7年落ちで走行距離は25,000キロ。現在まだ大きな故障もなく劣化部品の交換のみで済んでいて、見た目は古いが頑張って走ってくれている。

家賃や駐車場の費用はかなり抑えているとはいえ、ただでさえ低所得な私の家計は車の税金に圧迫されている。が、それでも音楽を聞きながら運転する事が好きなので手放せずにいる。その分、他の事でお金を使う事が殆ど無いから、まぁいいかな…と)

で、その整備工場。まず予約の電話を入れるのだけれど、その一家は誰が電話に出ても愛想がない。ぶっきらぼうでちょっと怖い。

とはいえ、この一家は無愛想なのだけれど人は良く、整備工場の評判も良いようで客も多い。私に対しても女だからといって足元を見るような事はせず、点検した箇所の説明をきちんとし、必要最低限の部品交換だけで済ませてくれるのでありがたい。

でも電話は無愛想。なので電話をかけるのが嫌だ。しかし点検の予約は入れないといけない。しかし相手はぶっきらぼう。でもかけなければ…。そんな思いで、ただ”電話をかける”というだけの行為が憂鬱で仕方ない。

相手の表情が確認できない状態で会話をする電話というものに私は苦手意識がある。苦手意識がありながらも、コールセンターで働いていた経験があるので、無駄にハキハキしていたりする。これは30分までなら可能な私の外面だ。

***

で、無事に点検終了。次の難関は精算時。ここの奥さんが、それはもうとにかくお喋り好きなのだ。その上、精算時にまだ請求書が作成されていなかったりする。

そんな奥さんはマイペースなのだけれど、私の淡々としたマイペースとは違い、手よりも口ばかりが動くのでなかなか請求書が作成されず精算が終わらない。

いつも精算だけに20分程かかるので、ちょっと面倒くさい。しかし私のコミュニケーション能力は30分まではなんとか可能。ここでも無駄にハキハキとした外面を発揮してしまう。それもあって精算の時間が伸びているのかもしれない。

奥さん「なんだか夕方になると寒くなるわよねぇ。外に出たら風が冷たくてビックリしちゃった」私「北海道は雪が降ったらしいですね。でもこの辺りも2~3年前、桜が咲いている時に雪が降った事がありましたよね。あの時はビックリしましたよ」

なんて。面倒くさいと言いながら私もペラペラと喋っている。こんな時は普段と違う外面の自分がムクムクと表れ、完璧に世間話をこなしてしまうのだ。但し30分以内なら。

たった1年に1度の事なのだけれど、そろそろという時期になると「あぁまた点検か」と憂鬱になる。勝手に外面を発揮しておきながら、勝手に憂鬱になる私は一体ひとりで何をしているんだろう…と思う。




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「それに比べて私は」思考を消した小さなワクワク感 [日々の出来事]

精神的に体調が悪いようで、最近会えていない既婚の女友達がいる。体調が良くなればそのうち連絡してくるだろうし、あまり様子を伺うのもアレなので私の方からも連絡はしていない。

友人は時々LINEのタイムラインに写真をアップしているので「写真がアップされていれば元気って事だな」と思い見てみたら、野球観戦をしていた。元気そうで良かった。旦那さんが草野球をする人らしいので一緒に行ったのだろう。私と会う時に話す旦那さんの話は、独身の私に気を使っている為か、冷めた内容ばかりで良い話を聞いた事がない。でも、なんだかんだで幸せなのだろう。

そんな写真を見た瞬間、普段「これだけは思うまい」と意識している言葉が、ほんの一瞬脳裏をよぎった。

(それに比べて私は…)

おっと!いけない、いけない。変な思考に巻き込まれるところだった。あぶね。

私がもしFacebookなんてものをやっていたら右も左も前も後ろも全ての芝生が青く見えて、頭を抱えていたかもしれない。必死に「楽しく充実した毎日を送る独身女性」を演じ、今とは違った方向で痛い女に一直線だったかもしれない。おー怖い怖い。

そんな私の休日。本当はどこか公園にでも行って花見をしようと思っていたのだけれど(あ、もちろん1人で)急に雨が降り出しそうな危うい天気だったのでやめた。で、いつも通り近所の喫茶店に行き、図書館で借りた《読書は1冊のノートにまとめなさい》を読んだ。

私は読書家というほど本を読んでいるわけではない。ほんの娯楽だったり、悩んだ時の手引きだったりで、本の知識が豊富なわけではない。書評を書くほど掘り下げる自信も無いので、このブログでは4コマ漫画とタレント本程度しか紹介した事が無い。

そんな私がこれを読んだのは、せっかく本を読んでも内容を忘れてしまう事が多く、きちんと記憶して身になる読書をしたいという思いから。何か良い方法はないか?と探っているうちにこの本に辿り着いたのだ。

読書ノートは、以前からつけてみようかなと思ってはいたものの「日記と同じでどうせ私は長続きしないだろう」という気持ちがあって挑戦せずにいた。それに”読書感想文”は苦手だ。

でもこの本を読んでみて、私でも出来そうな気がしてきた。読書ノートというのは、きちんと長い文章で感想を書くものだと勝手に思い込んでいたけれど、この本には「○月○日期待以上に面白かった」の一言でも良いと書かれている。

読んだという体験を書き残す事から始めるのだそう。また、自分の本音を書くのだから一言でも問題無いとの事。

他にも、心に残った文章や漫画の1コマをコピーして切り貼りしたり、パンフレットや本の帯を貼ったり、気が向いた時にメモ用紙に感想を書き、それをノートに貼るだけでも良いと言う。

「『読んだから読書ノートをつける』のではなく『読書ノートを作るから読む』」という言葉がすごくいいなと思った。それによりメリハリのある読書が出来るようになるとの事。

内容を覚える為に頑張って書くのではなく、自分のノートを作り上げていくという作業は楽しそうだ。シールやスタンプを買ってきてカラフルにしていくのもいいかもしれない。

私は全然読まないけれど、ファッション雑誌の好きなコーディネートを切り貼りしたり、無料の情報誌(R25など)に載っている気に入った写真やイラストを切り貼りしても楽しいかも。料理レシピとか。

こうなってくると”読書ノート”というよりも、自分だけの本を作成する感じに近い。

日記と違って毎日の作業ではないし、日付の入った手帳と違って空白の日が出来る事も無いので、モチベーションも保てそうだ。ノートが1冊終わる頃には、書評ブログを書けるようになっているかもしれない。

と、考えていたらワクワクしてきた。生活の中に小さなワクワクがあると(それに比べて私は…)なんてマイナスな感情がいつの間にか消えている。私の思考は単純だ。さてさて、私の読書ノートの1番目は何の本にしようかな♪シールとスタンプを買いに行こう!




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なんだかんだ言っても本当はそんな自分が好きだったり [考え事、感じた事]

幸せを引き寄せる法則や、自信をつける方法、落ち込んだ時の気持ちの切り替え法や、自分の思考のクセを知る方法、考え過ぎをストップする方法など、そんなタイトルの記事を見つけたら、以前の私ならすぐに飛びつき保存していたけれど、最近はそれらのタイトルが気にならなくなってきた。

それは私が悩まなくなったからなのか?と考えればそうでもなく、相変わらずウジウジと自分について考えては落ち込み、考えては前向きになり…を繰り返している。

そんな私の思考癖はもう変わらないし、変えようと足掻けば足掻くほど変われない自分が嫌になる。そしてすでに30代半ば。もうこのまま残りの人生をトボトボ歩もうと諦めたという事もあるのだけれど、それ以外にも自分について思う事がある。

***

私の同僚女性は、悪く言えば何も考えておらず、よく言えばとても楽天的。外向的でよく喋り、職場でのストレスというものは全く感じていない様子だ(本音は分からないが、私からはそう見える)。

私と彼女は正反対の性格で「彼女のように生きられたら楽だろうな」と何度も思ったけれど、じゃあ今ここに神様が現れて「あなたを彼女のように楽観的な性格に変えてあげましょうか?」と言われたら…。

多分私は「お願いします!」と即答はしない。躊躇する。いや「やはり私は内向的で内省的で時々ネガティブな、今の私のままでいいです」と丁寧にお断りすると思う。

今の私はなんだかんだ言って、本当はこんな自分を気に入っているのではないか?と思う。悩んではハァと溜息をつき、隣の同僚を見ては「悩みがなさそうでいいわね…」と含み笑いをする。繊細な自分に酔って悦に入っているのではないか?

ネガティブな気持になるのは本当にしんどい。反面「そんな繊細な私もなかなか素敵」と客観的に冷静に見ている自分も存在している気がする。そして、無意識の中でそんな自分を変えないようにしているのではないか?と最近考えている。

もしそうだとしたら、私はこんな自分を変えずに大切にしてあげたいと思う。無意識の中で「変わりたくない」と思っているのに、無理に変えてしまうのは”私”が可哀相だ。

***

「自分を好きになる方法は?」という質問に、片桐はいりさんが言った

親のような気持ちで自分を見るといいんじゃないですかね

という答えが好きだ。

“私”を子供のように大切に想ってあげる。”私”が傷ついたとしても「頑張れ!」とは言わずそっと見守り、他人から呆れられてしまうような駄目な部分があったとしても、自分だけは”私”の味方でいてあげたい。

あるブログ主さんはこう言っていた。

考えすぎるネガティブ人間として、これからも堂々と生きていこう

ネガティブだけど自分をポジティブに受け止めていて、良い言葉だなと思った。私の中でも大切にしたい言葉だ。

私は今後、自己啓発本や記事は多分読まない。それらを読んで自分を無理に変えようとするのは、”私”を否定する事になり可哀相だと思うから。

でも、もしかしたらちょっとは見たくなる事もあるかもしれない。その時は「へぇこんな考え方もあるんだ~」と、ほんの少し参考にするだけだ。基本的に私は私のままで行く。




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私に友達が少ない理由(明日ご飯に誘える相手はゼロ) [性格の事]

こんなまとめ記事を見た。「友達いない、作り方忘れた」人付き合いで孤独を感じた時に確認したいこと」

まとめ記事の前半は「友達がいない人には問題がある」というような内容が多く(私にはそう見えた)、友達が少ない私は結構腹立たしかった。が、このまとめ記事は「一人ぼっちで寂しいと感じている人」向けのようなので、私には関係ないと自分に言い聞かせて気持ちを落ち着かせた。ふぅー。

このまとめ記事の中にこんな文章があった。「友達ができないって人は、自分にしか興味がないんだと思う。他人に興味がない、関心がない。感心なんて絶対にしない」「自分に興味を示さないような人と会いたいとは誰も思わないと思う。逆に自分に興味を持ってくれる人、話を聞いてくれる人とは会いたいと思う」

これらの文章を読んで、自分に友達が少ない(気軽に「明日ご飯食べに行かない?」と言える友達はゼロ)理由について、改めて考えるきっかけになった。

***

まず「(友達ができない人は)感心なんて絶対にしない」というのは偏見だ。けれど「(友達ができない人は)自分にしか興味が無い、他人に興味が無い」というのは…あ、私の事だ。このブログも自分の事ばかり考えて書いているからね。

そもそも「他人に興味」というのが、どういう事なのか私にはよく分からない。考えてみたのだけれどピンと来ない。他人の何に興味が湧くのかが分からない。…そういう感覚が無いという事は、やはり私は他人に興味が無いという事なのだろう。

でも、人に全く興味・関心が無いわけではない。このブログでも過去に書いた事があった気がするが、私には好きな有名人がいる。その人の考え方や生き方が好きだし、憧れている。その人の思考や関心のある事については小さな事でも知りたいと思う。

また有名人ではなく、ブログを書いている一般の人でも興味がある人は何人かいる。有名人に対してと同様、その人の思考について知りたいと思うのでブログをチェックしている。

けれど。

この有名人やブログを書いている一般の方と友達になりたいかと言えば少し違う。話を聞いてみたいとは思うが、一緒に遊びに出掛けたいというような気持ちではない。私が興味を持つ人というのは、一緒に楽しい時間を過ごしたい相手ではなく、人格や生き方に尊敬や共感をする人間だ。

もちろん友達に対しても尊敬をする部分はある。合コンに誘ってくれるMちゃんは、とても社交的で交友関係が広く、私に無いものをたくさん持っているので尊敬している。だけど、私はMちゃんを尊敬しているから友達になったのではない。友達になった後、尊敬する部分を見つけたのだ。

[関連記事]
・渋々行った合コンで男性陣がしてくれた質問が嬉しかった
・合コンという出会いの場に今回は行きたくないなと思う

じゃあMちゃんに興味や関心は無いのか?と言われると、Mちゃんの考え方や生き方、趣味等について特に知りたいとは思わないので、やはり興味は無いのだと思う(もちろんMちゃんからそういう話が出れば、語り合うと思うが)。そして、私も自分自身に興味を持ってもらいたいとは特に思っていない。

じゃあ何故Mちゃんと友達になったのか?と言われると、その答えはただひとつ。笑いのツボが合うから。

こういう言い方をすると「笑いに厳しい芸人好き」みたいな感じがするけれど、そういう事ではない。思わず「あはは」と声を出して笑ってしまう場面やモノが一緒だから、Mちゃんとは楽しい時間を過ごす事が出来る。

私はこれを結構大事に思っていて、学生時代から今まで、笑いのツボが合うというだけで友達になっていたし、男性もそういう人を好きになる場合が多かった。

だけど私の場合、1人でいる事が好きだったり、他人に興味が無かったり、出会いの場に消極的だったり、人見知りだったりで、人との笑いのツボを確認し合うまでに至らないので友達が出来にくい。そして友達が出来たとしても連絡をマメに取らないので、いつの間にか疎遠になっている。

と、こんな感じで「私に友達が少ない理由」が改めて分かったが、私のような人間は冷たいと言われる事もあるので、もしからしたら「ただ単に性格が悪いから」という可能性も否定出来ない。




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こう考えてみると、やっぱり私は男性に好かれないだろう [結婚や恋愛の事]

36歳という年齢でこんな話もあれだけど。

20代の頃から思っていた。私は男性がしてくれる”腕枕”がどうにも苦手だなと。女性は「守られてるような幸せ」を感じる人が多いようだけれど、私はどこに頭を置けばいいのか分からないという不安定さだけでなく、定番の行動をとっている自分にもどこか笑えてきてしまう。

いかにもなカップル感と、ピロートークというものに心の中がムズムズする。出来ればタバコを吸って、背中を向けて眠りたいというのが本音だった。あ、今は非喫煙者。

***

私は思い出の品をとっておくという習慣が無い。例えば男性と行った映画の半券。一応なんとなく財布の中に入れておくが、数日したらレシートと一緒に処分する。

映画自体を気に入った場合はパンフレットを買う。けれど、相手との思い出として何かをとっておく事はない。また写真も好きではないので、一緒に撮る事は避ける。思い出は常に心の中だけだ。

***

私はせっかちで、何事もサクッと済ませたい。例えばスーパーで買い物をする時、メモは欠かさない。さらに、店の入口からレジまで順番に「野菜→肉→卵→魚→パン」という感じでメモをしておく。

店内を行ったり来たりする無駄な時間と労力が嫌なのだ。なるべく最短でスムーズにレジに辿り着きたい。なので移動も速い。もし誰かとスーパーに行ったとしても「どうする?あれは?これは?どっちにする?ねぇやっぱりさぁ」という会話はきっと楽しめない。

私はメールのやり取りが苦手だ。特に「おはよう」「おやすみ」「良い天気だね」という用件の無い雑談メールは好きじゃない。用事がなければ連絡はしない。

絵文字やLINEのスタンプなんかも使わないので、相手のメッセージにそれらが満載だと、私のメッセージがかなり簡潔で冷たい印象になる。が、別に怒っているわけではない。が、必要がなければ返信しない事もある。

***

私は料理に興味が無く、苦手。火を使わないものと味噌汁なら出来る。肉じゃが、ハンバーグ、オムライス…、作れと言われれば作るけれど、味の保障はない。自分で作って食べて「不味くはない」と思う事はあっても「美味しい」と思った事は、ほとんどない。

せっかちなので手間暇をかけられず、ひと手間を飛ばしてしまう。材料が足りなくても「まぁいいか」と適当に作ってしまうので、やはり一味足りなかったりする。

***

私はロマンチストではない。ハッピーなサプライズをしてもらえたら、その想いはとても嬉しい。が、良いリアクションは出来ない。「ありがとう」としか言えない。サプライズが好きな男性に、私は絶対好かれない。私は、男性から見ると女性らしさに欠ける冷めた女なのだ。

***

こうして書き出してみると、なんで私は36歳にもなってこんな事を書いてるんだー?とも思うし、私は昔から恋愛向きじゃないんだなーとも思うし、やっぱり相手に合わせる事が出来ないので独りなのだなーとも思うし、なんだか痛々しいなーとも思うし、でもこれが私なんだなーとも思う。




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こんな私でもパートナーが出来る可能性は五分五分かと [結婚や恋愛の事]

36歳独身の私。ブログでも度々書いているけれど…、私には気軽にご飯に誘えるような友達はおらず、プライベートで人と会うのは数ヶ月に1度。内向的でマイペースで協調性が無く、人間関係が築けない。

料理が苦手で、食にもあまり興味が無い。凝った趣味は特に無く、お笑い・ラジオ・本・ウォーキング・喫茶店をそれなりに楽しみながら暮らしている。胸はペタンコなのにお尻はデカいというオモシロ体型。貧乏なのにお菓子ばかり食べている。

私はこんな感じなので結婚(人と暮らす事)は出来ないだろうと感じている。恋人は欲しいな、でも出来ないだろうな、でも欲しいな、でも…を心の中で繰り返しながら日々を過ごしている。

そんな私は「今後、自分にパートナーが出来る可能性は”五分五分”だろう」と実は密かに思っているのだ。50%は「出来る」と感じている辺り。なかなか自信過剰だとも思うのだけれど、この勝算には理由がある。

それは私の家族が晩婚だったという事だ。厳密に言うなら「2度目以降の結婚が晩婚」だった。

母は何度か離婚と結婚を繰り返している。数は多分3回くらい。私は最後の夫の子で、母が38歳の時に生まれた。何度離婚したのかハッキリは知らない。聞いてもごまかされるので、私もあまり深くは聞かないようにしている。

母は特に美人というわけでもないし、背が低く少し太っていてそれほど”いい女”というわけではなかった。男にだらしがないという感じでもないし、男がいないと生きていけないというタイプでもない。どちらかと言うと、気が強くて現実的な考え方をする人だ。

でも何故か数回の離婚&結婚経験者。ちなみに、すでに亡くなっている母の父親もバツ3だった。

そして、私の姉。姉は20歳で結婚し離婚。その後37歳の時に中学生の子供を連れて、40代の未婚男性と結婚した。幸いにも当時、子供(女の子)が少々幼く、とても父親を欲しがっていた為にスムーズに結婚に至る事が出来た。今でも姉の夫と娘はとても仲が良い。

私はそんな家族と血が繋がっているので「まぁ私もすでに36歳だけど、焦らなくてもそのうち良い縁があるだろう」と高を括っているのだ ( ̄^ ̄)

ただ、1つ気になっている点がある。それは私の性格が父そっくりだという事。

私の父親も晩婚で、30代後半で初婚だった。人付き合いが希薄で、若い頃の趣味は釣りや一人旅。時々友人と2人で釣りに出掛ける事もあったけれど、殆ど1人行動をする人だった。

今、父と母は一緒に暮らしているが2人は20年前に1度離婚をしている。別々で暮らしている間、母には何度かボーイフレンド(と本人が言っていた)が出来たが、父にはそういう女性の気配が一切無かった。

父は、自分が再婚すれば娘である私が会いに来づらくなる…という気持ちもあったようだが、でもやはり父の性格だろう。仕事と釣りと旅行を1人で楽しんでいたようだ。

私は父のそんな性格を、思いっきり引き継いでいる。似ている部分が本当に多い。

「うちは晩婚家系だから大丈夫。そのうち良きパートナーに巡り会えるだろう」という甘い甘い考えが私にはあるので、パートナー探しにそれほど焦っていないのだけれど…。

孤高に生きてきた父から、私は確実に血を受け継いでいる。そこが少し気になっている。




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