SSブログ

欠陥品ではないけれど既婚枠に入るには努力の必要も… [結婚や恋愛の事]

スポンサーリンク




「あなた、そんなんじゃ結婚できないよ!」と、もし言われたら私は「はぁそうですか。じゃ、それでいいです」と返すだろう。その言葉を発した私の心の中の思いは一つというわけではない。

したくないし、しなくてもいいし、出来ないし、どちらでもいいし、気楽だし、楽しいし、したい気もするけど、世間体は気になるけど、こんな性格だし、面倒だし、好きな事したいし、恋人はいた方がいいけど、姑とか大変らしいし…などなど。

そんな私が何かの拍子に「やっぱり私、結婚したい!」と思った時、私はまず”努力”から始めなければいけない。それは36歳という年齢の事ではなく、性格の方だ。

私は”結婚に向かない性格”というものは決して悪ではないと思っている(当たり前の事だ)。でも世間的には○歳以上で結婚していない人には”人間性に欠陥”があるという、わりと大雑把な見方をされる場合が多くある。

「そんな風には思っていない!」と強く言ってくれる理解ある既婚者の方も多くいるのは有り難く、でもやはり風潮はあるわけで、実際に結婚出来ない(していない)人の性格の一部分を分析する人もいる。そこには”既婚”という武器を手に、上下の関係性を誇示する(無意識の)思惑が透けて見える場合があり、なんとも言えない嫌な気持ちになったり。

と、少し熱くなってしまったが。

20代で恋人がいて、2人はそれなりに喧嘩もしながらお互いに適齢期を迎え、そのままアラサーで入籍。という流れが一般的で”正常”とするならば、36歳未婚の私は正常ではない領域に踏み込んでいる。

私は”人間”という大きな枠の中での自分は、多分”欠陥品”ではないと信じたいのだが(自信はない)ただ、人間という枠の中に存在する”既婚”という枠では欠陥品にあたるのだろうと思う。

そんな既婚枠に入るには、正常品は努力の必要も無く流れですんなり入る事が出来るのだろうけど、欠陥品の私は努力をしなければ入れない。入るには「だから結婚出来ないんだよ」と指摘される部分を変えなければいけない。ちなみに”直す”のではない。”変える”のだ。

但し、私は独身枠では正常品だ。独りで映画を楽しみ、独りでカフェを楽しみ、独りで買い物を楽しむ。それらを”寂しい人間”と思うようになったら、既婚枠に入れるように自分を変える努力しなければいけない。が、今のところ自分を変える予定は無く、独身枠にどっぷり浸かっている。

それはそれでいい。

ただ既婚枠はサイズや存在感が大きく、それに比べて独身枠はコンパクトサイズなので、私のような人間は肩身が狭いというのがなかなか辛い。気にしていないつもりでも、風潮が勝手に視界に入ってきたりして。

もう少しサイズのバランスがよくなればいいな…なんて思うけれど、そうなると少子化どーすんだよ!という声が上がったりするわけで、どちらにせよ独身枠は肩身が狭い。

かと言って、無理をしてまで既婚枠に入る気もなく、ただ既婚枠のサイズの大きさは羨ましく、独身者に上から目線で欠陥扱いされる心配も無い既婚という立場に「人間という枠では同じなのにね」と小さなやっかみを感じる事もある。

こんな事をよく考えるので似たり寄ったりの記事が増えている。






スポンサーリンク



nice!(0)  コメント(0) 

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。