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おひとりさまなら土日休みよりも平日休みの仕事がいい [考え事、感じた事]

もしもこの先ずっと、おひとりさまで暮らしていくのなら、平日休みの仕事に就きたいなと最近よく考える。カレンダー通りの土日休みは連休があるというのが魅力だけれど、どこに出掛けても混雑していてそれが私をさらに出不精にさせる。

平日なら飲食店も空いているし、仕事中の1人客も多いので「昼時は避けよう」なんて考えなくていいし、買い物ものんびり出来るし(但し、客が少ないので店員から話しかけられる率がかなり高くなる)、一人旅だって旅館は平日の方が安いし、道路も電車も空いているし。

1人では行った事が無いけれど、ディズニーランドも絶対平日の方がいいだろうし(行く予定は全く無いが)。あと医者も役所も行き放題。それに、平日休みになると友達と会えない…と言う人が多い中、友達が少ない私は無問題!

土日の都内なんてもう、うんざりするほど人がいて思うように前に進めなくて、マイペースでせっかちな私はイライラしてしまう。密度が高過ぎて、人とすれ違う時に男性の大きな腕時計がこちらの手首に思いっきりぶつかり「イターッ」なんてなる事もよくあるし。

よくドラマで見る他人の肩と肩がぶつかるシーン。あれって地方の地元に住んでいた時には「こんな事ある?」って思っていたけれど、都会に来てそれが日常で起こる事だと知った。密度高過ぎ。

じゃあ地元に戻れよ、と言われると「え~でも…モジモジ。やっぱり関東好きだし」となるわけなんだけど、都心暮らしはしんどいなぁとつくづく思う。都心の家賃を払える程の収入なんて無いのだから何の心配も無いし、いずれは親の面倒を見る為に地元に戻るだろうと思うのだけど。

話が反れてしまったが。とにかく、おひとりさま暮らしを楽しんでいる平日休みの人が羨ましい。平日が休みだったら色々出掛けたいなぁと思いつつ、土日休みで人混みが嫌な私は、せいぜい駅周辺をブラブラするだけ。駅周辺だって結構混んでいて、ドトールですら満席だから嫌になっちゃう。

ゴールデンウィークは地元に帰る予定だけれど、帰りはいつも通り渋滞に巻き込まれるのだろうなぁと考えると、それだけで辟易してしまう。あぁ平日に帰りたい。

そんな事を考えていると、私の頭の中に理想の暮らしが浮かぶ。1日5時間くらいパートで働いて、家の近くには大きな公園と川があって、毎日公園や河川敷を散歩して、自宅にはペットがいて、年に数回くらい誰かと食事をして、貧乏ながらも節約して、心穏やかにのんびり暮らしたい。

まず1日5時間の労働というところに無理があるなー!でもそんな暮らしに心底憧れる。そして、もちろん独身のままがいい。…なんてやっぱり無理かー。




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なんだかんだ言っても本当はそんな自分が好きだったり [考え事、感じた事]

幸せを引き寄せる法則や、自信をつける方法、落ち込んだ時の気持ちの切り替え法や、自分の思考のクセを知る方法、考え過ぎをストップする方法など、そんなタイトルの記事を見つけたら、以前の私ならすぐに飛びつき保存していたけれど、最近はそれらのタイトルが気にならなくなってきた。

それは私が悩まなくなったからなのか?と考えればそうでもなく、相変わらずウジウジと自分について考えては落ち込み、考えては前向きになり…を繰り返している。

そんな私の思考癖はもう変わらないし、変えようと足掻けば足掻くほど変われない自分が嫌になる。そしてすでに30代半ば。もうこのまま残りの人生をトボトボ歩もうと諦めたという事もあるのだけれど、それ以外にも自分について思う事がある。

***

私の同僚女性は、悪く言えば何も考えておらず、よく言えばとても楽天的。外向的でよく喋り、職場でのストレスというものは全く感じていない様子だ(本音は分からないが、私からはそう見える)。

私と彼女は正反対の性格で「彼女のように生きられたら楽だろうな」と何度も思ったけれど、じゃあ今ここに神様が現れて「あなたを彼女のように楽観的な性格に変えてあげましょうか?」と言われたら…。

多分私は「お願いします!」と即答はしない。躊躇する。いや「やはり私は内向的で内省的で時々ネガティブな、今の私のままでいいです」と丁寧にお断りすると思う。

今の私はなんだかんだ言って、本当はこんな自分を気に入っているのではないか?と思う。悩んではハァと溜息をつき、隣の同僚を見ては「悩みがなさそうでいいわね…」と含み笑いをする。繊細な自分に酔って悦に入っているのではないか?

ネガティブな気持になるのは本当にしんどい。反面「そんな繊細な私もなかなか素敵」と客観的に冷静に見ている自分も存在している気がする。そして、無意識の中でそんな自分を変えないようにしているのではないか?と最近考えている。

もしそうだとしたら、私はこんな自分を変えずに大切にしてあげたいと思う。無意識の中で「変わりたくない」と思っているのに、無理に変えてしまうのは”私”が可哀相だ。

***

「自分を好きになる方法は?」という質問に、片桐はいりさんが言った

親のような気持ちで自分を見るといいんじゃないですかね

という答えが好きだ。

“私”を子供のように大切に想ってあげる。”私”が傷ついたとしても「頑張れ!」とは言わずそっと見守り、他人から呆れられてしまうような駄目な部分があったとしても、自分だけは”私”の味方でいてあげたい。

あるブログ主さんはこう言っていた。

考えすぎるネガティブ人間として、これからも堂々と生きていこう

ネガティブだけど自分をポジティブに受け止めていて、良い言葉だなと思った。私の中でも大切にしたい言葉だ。

私は今後、自己啓発本や記事は多分読まない。それらを読んで自分を無理に変えようとするのは、”私”を否定する事になり可哀相だと思うから。

でも、もしかしたらちょっとは見たくなる事もあるかもしれない。その時は「へぇこんな考え方もあるんだ~」と、ほんの少し参考にするだけだ。基本的に私は私のままで行く。




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今日人生が終わるとしたら、私の後悔はなんだろう? [考え事、感じた事]

今日で人生が終わるとしたら、私はどんな事を考えるだろう?と、ふと考えた(別に死にたいなどと暗い気持ちになっているわけではない)。

親に挨拶や、友達にお礼や、部屋の整理や、仕事の引き継ぎなど…そういう身の周りの事ではなく私自身の事だけを考えた。もし今日で人生が終わるとしたら、私は「せめて最後の日くらいは、人や社会の役に立ちたい!」とは全く思わない。

好きなものを食べて、コーヒーを飲んで、好きな音楽聴いて、お笑いDVDを見て、動物を撫でて、YouTubeを見て、散歩に行って、ラジオを聴いて…そんないつもと同じ、もしくはいつもより少し贅沢な1日を送りたい。大勢の人と騒いで過ごすのではなく、1人でのんびり過ごしたいな…と。やはりそれが私の幸せなんだなぁと、改めて思った。

じゃあ今日で人生が終わるとしたら、私は過去を振り返り何を後悔するだろう?36歳未婚の女性が考えそうな事と言えば、結婚しなかった事や子供を産まなかった事だろうけど、私はそこに後悔は感じないだろうな。そこは割と、どうでもいい。

じゃあ仕事の後悔は?と考えると、それもピンと来ない。子供の頃は歌手になりたいとか、バスの運転手になりたいとか、ディズニーランドで働きたいとか、それなりに将来の夢はあったけど、大人になってからはどうしても就きたい職業は特に無かった。今の仕事は嫌だけど、好きな仕事をしていない事に対しての後悔は特に無い。

それよりも。

「自分が”好き”と思えるモノ」を、もっとたくさん見つけ出しておけば良かったな…と思った。夢中になるものから、結構好きというものまで。小さな好きも大きな好きも、”好き”をもっと数多くかき集めて、それらに夢中になったり没頭したり、ニヤニヤしたり。いつも生活に”好き”が関わっているような人生を送りたかったなと思った。

そう考えると。私にとっての幸せや理想の生き方・人生で大切だと思う事は、好きなモノを見て聴いて触って感じて、毎日ほんのりワクワクしながら過ごす事なんだと思う。とは言え、何も考えずに生きていても”好き”は自動的には増えない。

様々な”好き”を数多く見つけ出すには、自ら隅々まで探したり、何でも試してみたり、根気よく続けたりする事も必要となってくる。”好き”は自分の周りに勝手に集まってきてはくれない。好きなモノに囲まれた生活を送るには、どこにあるか分からないそれを自ら見つけ出す為の努力も必要となってくる。

私はまだ多分、明日も明後日も来週も来月も来年も生きる、多分。

今日で人生が終わると考えた時に後悔した「”好き”をもっと見つけ出しておけばよかった」という事が、きっと私にとっての幸せなんだろう。なので今後の人生は、もっと意識して”好き”を増やしていかなければ…と思った。

惰性で過ごしている時間が私には多くある。その時間を”好き集め”に充てれば、人生が終わる時に満足して目を閉じられるかもしれない。というわけで、”好き探し”は今後の私の人生の課題としよう。




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ルーティンワークに独身生活、小さな事でも成長すれば [考え事、感じた事]

結婚して家庭もって子ども育てていくってのは普通の人が人生の意味を付けるのにちょうどいいツールなんだよね。子ども産まれて、育てて、教育して、成長して巣立っていって、、それを自分でやった達成感がある。何かしら特技があって世の中での自分の存在意義があるとか、仕事にやりがいがあって「これが自分の人生だ」と思えるような人以外はずーっと一人で生きていくには退屈で、なぜ自分が存在しているのかの意味付けが難しいんだと思う。


以前、はてな匿名ダイアリーにあったこの文章。分かっていた事なんだけれど”ツール”や”達成感”という言葉が使われた事で、すんなり「なるほど」と思えた。

私がもう1つ思うのは、子育てをしている人からよく聞く「自分も成長できる」という言葉について。

子ども~学生時代は体も心も昨日とはどんどん変わっていく(成長していく)し、学校での勉強や人間関係などの経験を経て、人としての知識も増えていく。若い時は、そうやって無意識に成長を楽しんでいる。

でも、ある程度の年齢になると知識も経験も一通り済ませてしまうので、新たな発見は無くなり成長は止まってしまう。そうなると惰性で生きているように感じ、人生がつまらなくなる。

だから、自分の存在意義を確認できるのと同時に自分の成長も感じる事が出来る子育ては、人生を豊かにする。じゃあ、子育てをしていない人はもう成長しないのかと言えばそんな事はないはず。

例えば仕事は?常に新たな知識を必要し、勉強をし続けなければいけない仕事。常にキャリアアップを目指せる仕事。”世間の役に立っている”と直に実感できるような仕事…など。これらは仕事を辞めるまで自分の成長を実感する事ができる。

じゃあ、私みたいに誰でも出来るようなルーティンワークをしている人はどうなんだろう?私のように子育てもしておらず仕事でも成長を感じられない人間はどうすればいいのか。どうやって成長を得ればいいのか。

そうなると例えば、ボランティアとか?趣味で知識や体力を身に付けるとか?ペットの世話で感情を養うとか、友達を作る事で新たな人間関係を築くとか?資格を取得する事で知識を得て、趣味や仕事に活かすとか?映画や音楽や小説で感性を磨くなど?

方法は何でもいい。

どれも子育てや仕事ほどの大きな成長は見込めないかもしれない。けれど、どんな事でも今よりも知識や経験を増やす事で、自分の成長を感じる事は出来る。知識が身に付けば誰かの役に立てる事もある。そんな成長と存在意義だけでも人生の退屈から抜け出せる。

*****

私は基本的に”自分の存在”に意味なんてものは無いと思っている。動物や植物と同じで人間も「ここに命があるから生きている」ただそれだけだと思っている。ただ、動物や植物と違って人間は単純ではない。知能があるからつい考えてしまう。「人生って何なんだ?」と。

どんなに些細な事でもいい。日記を付ける、毎日歩く、体力をつける、漢字を覚える、地理を知る、歴史を知る、感受性を高める…、昨日の自分より今日の自分の方が成長しているような生き方を心掛ければ、豊かな人生に繋がるはず。無理はしなくてもいい、身の丈に合った事でいい。

成長しなければ、人生は退屈になる。成長を実感できれば、若い頃のように人生を無意識の中で楽しめる。




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休日明けの月曜日、憂鬱な気分になってしまう私の理由 [考え事、感じた事]

週明け(休日明け)私は憂鬱だ。なぜなら仕事だから。昔、食事に行った男性に「明日仕事だから嫌だな」と言ったら「俺、仕事好きだから嫌じゃないよ」と言われた事がある。

そういう人もいるだろうなと思う。仕事は嫌々している人ばかりじゃない。「仕事が趣味」なんて言葉もよく聞くし。嫌な時期もあれば楽しい時期もあったり、環境にもよるかもしれない。

爆笑問題の太田さんは「テレビもラジオも仕事だと思っていない。遊びだと感じている。原稿書きは仕事だから憂鬱」みたいな事を言っていた。芸能人の仕事観は全然別物かもしれないけれど、一般人でも仕事が好きという人は世の中いくらでもいる。

私は好きな職業に就いているとか、仕事にやりがいを感じているとかそういった事は一切なく、生活費の為だけに働いているので休日明けは憂鬱だ。

日曜はサザエさん症候群どころじゃない。ザ・ノンフィクションや競馬の時間帯から憂鬱になり始める。なのでその時間帯は、気を紛らわせる為になるべく外に出かけるようにしている。

そんな憂鬱な気分は「自由な時間が終わり、楽しくもない仕事が始まってしまう」という気持ちだけではない気がしている。じゃあなんだろう…。

多分私は、休日になると非現実的な”理想の自分”の姿を想像して楽しんでいるのだと思う。食事の用意をしている時や、ブログを書いている時、散歩をしている時や、買い物をしている時など、常に私の頭の中にはこれからの理想の人生を無意識に描いて楽しんでいるのだ。

週末だけ未来に夢を見ているとでも言うのだろうか。

それは大した想像ではなくて、例えば喫茶店でコーヒーを飲みながら「この間買った宝くじが当たったら、パートタイムで午前中だけ働いて、昼はまかないを食べて、午後は毎日この喫茶店でお茶をしながら本を読んで、夕方スーパーに寄って…」みたいな。くだらない想像だ。

海外で暮らす日本人を紹介する番組を見ては、「外国人と結婚して海外に住んでみたいな。でも英語話せるようになるかな。外国人の恋人が出来たら毎日なるべく英語で話すようにしてもらおう。2人で海外のDVDを見る時も字幕無しにしよう」なんて考えたり。

旅番組を見ながら「両親が死んで私一人になったらどこで暮らそうかな…。北海道もいいな、大阪も楽しそうだな、福岡も良さそうだな、富士山が見える場所がいいかな」とか。

「日本全国、ドライブ旅に行きたいな。恋人が出来たら一緒に行ってくれるかな。お弁当とおやつと果物と水筒持って、交代で車を運転しながら出かけたら楽しいだろうな」とか。

そんな現実味の無い将来の夢というか、理想の未来を想い描き少しワクワクしながら休日を過ごすも、日曜の夕方にはだんだんと現実に引き戻され小さく絶望する。

現実は出会いもなく、お金も少なく、両親の心配もある。月曜には満足していない現状の世界に引き戻される。そして金曜になるとまた明るい未来を想像し、日曜の夕方にはまた小さな絶望感を感じ、月曜を迎え現実を見る。…私はそんな思考を繰り返し、もやもやしながら暮らしている。




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多くの人から好かれる必要なんて無い、もっと大切な事も [考え事、感じた事]

みんなから好かれる人間は素晴らしい…っていう考え方が一般的だけど、じゃあ少数からしか好かれない人や、仲間がいない人は駄目な人なのか?世の中の大抵の人が「多くの人から好かれたい」って思っているんじゃないかと思う。

仕事で広い人間関係を必要としている人はなるべく多くの人から好かれた方がいいし、チームのような形で仕事をしている人も周りから好かれている方が仕事がスムーズに進むだろう。

そういう理由じゃなくて、ただ単に「多くの人から好かれている事が人間として優れている」と思っている人も多いと思う。

友達が多い事をアピールしたり、逆に友達がいない事を恥ずかしいと思う人は沢山いるし、友人の数が人間の価値と比例すると思っている人もいる。

多くの人から好かれる為には、時に自分の本音を隠す必要がある。協調性を保つには自我が強くてはいけない。周りをよく見て空気を読んで、強く自己主張せず他人に合わせる必要がある。

それってすごい努力が必要だと思う。グッと堪えなければいけない場面も多々あると思う。チームワークが必要な職場には欠かせない能力だと思う。外面の能力。

相手に合わせられるのは素晴らしい事だし、周りにとってはありがたい。だから外面が良い人の事をみんなは好きになる。

逆に自我が強い人は周りの人達から嫌厭される。自我が強い人が嫌われるのは相手の意見を聞き入れず、自分の考えを押し付けようとするから。

でも、相手の意見も尊重しながら自我も大切にしている人ならそれは大きな魅力だと思う。

なんでも「はいはい」と相手に合わせられる人は周りから「いい人」って言われたりするけど、それって極端な話「都合のいい人」だ。文句は言ってこないし、ちゃんとこちらに合わせてくれるし、反対意見は言ってこないし、自我が無くて楽だなぁ…みたいな。

仕事上、広い人間関係が必要であれば自我が強くてはいけないけど、そうじゃない人は無理に多くの人から好かれる必要なんて無いんじゃないかと思う。

【他人にも自我がある】という事がきちんと理解できていれば、自分の自我だって大切にするべきだし表に出すべきでは。

誰かと友達になる時、まずは気が合う事が条件だけど、誰とも気が合わない…って人だっているだろう。逆に誰とでも気が合うって人もいるかもしれない。

自分の考え、好み、興味など、それが人を傷つける方向へ曲がっていたら正すべき。でも、そうでなければ他人と合うかどうかは自分の努力でどうにかなるものじゃない。それなら友人が出来なくても仕方がない。

だから、友達の数=人間の価値ではないと私は思う。

無理に他人に合わせなくても、自分の気持ちを再優先にすればいい。やりたくないと思えばやらなくていいし、合わせたくないと思えば合わせなくてもいい(迷惑をかけるのは駄目だけど)。

別に多くの人から好かれる必要なんて無いじゃないか。

自我が無い人は魅力的じゃない。みんなから好かれなくても一握りの人があなたのほんの一部分に興味を持ってくれれば、それはあなたに素晴らしい魅力があるという証拠。

誰も興味を持ってくれなくても、それは他人に合わせず自分の芯の部分をブレずに大切にしているのだから、それ自体が魅力だと私は思う。

周りに多くの仲間がいなくても、自分を大切にしている人間こそ魅力と価値があるんだ。




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30代後半からの人生は楽しくなりそうだと感じている話 [考え事、感じた事]

自分の生き方を楽しめるようになるのは人生の後半、40歳前後からなんだろうと思う。これは現在36歳の私が自身を肯定する為に自分に言い聞かせているのでは無い。

悩みに悩み、自分をどうにか変えようとしていた若い頃よりも「諦めた・吹っ切れた・気が付いた」そう感じ始める30代後半頃から、自分にとって”心地良い生き方”に辿り着けそうだと思ったのだ。

よく「人は歳を取ると性格を変えられない」と言う。それはまるでマイナスのような言い方だけれど、そうではない。長年生きて自分に自信がつくのだ。大人になるほど変わり者が増えていくのは、自分の生き方を全うし、世間の考えに左右されず自由に生きている人が多くなるからだろう。

若い頃は集団の中から一歩外に出てしまう事が怖かった。どうにか皆と同じ輪の中に入りたいと思っていたが出来なかった。皆より劣っている自分に劣等感を感じ、悩んでいた。そんな日々は20歳から15年近く続いた。

自分を肯定できるようになったのは、人生もそろそろ半分に差し掛かろうとしている最近の事だ。自然にそうなったのではなく、本やネットで様々な人の意見や考え方を知っていくうちに、自分に対しての考え方が変わってきた。内向的な性格で、そんな事ばかり考えていたのも結果としては良かったのかもしれない。

自分の本音に気付き始め、それが世間とは違っていても堂々していられるようになった。この歳にして自尊心が芽生えた。自尊心は気持ちが良い。自分の本音で生きていると楽で心地良い。嫌われる事もあるだろうが、別にいいと思える。

そうは言っても、時々自分の考えがブレる時もある。私の場合、友達が少ないと嘆きながら友達を欲していないと言ってみたり、結婚は性に合わないと言いながらも独身の自分に不安を感じたり…と。

それは自分の考え方が固まっていく通過点なのだろう。最終的に諦めたり、気が付いたり、吹っ切れたりしながら色々な道を辿って自分の生き方が固まっていく。

まだ私は36歳だ。40歳になった時、今よりもっと自分らしくなっているだろう。頑固な人だと周りから嫌われているだろうか。それとも哀れみの目で見られているだろうか。痛々しいと苦笑いされているだろうか。

それでも大人になった私は、劣等感で苦しんでいた若い頃よりもずっとずっと心地良い暮らしをしていると思う。これからの人生が楽しみだ。




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「あ~、お酒が飲めなくて良かった!」と思う5つの事 [考え事、感じた事]

私はお酒が全く飲めない。若い頃に格好つけてジントニックを飲んで、トイレで吐いた事がある。飲むと周りが心配するくらい顔が真っ赤になり、呼吸が苦しくなる。

私の性格からして、もしお酒が飲めたら休日は朝からずっと1人で飲んでいたと思う。チーズや塩辛なんかをつまみにして、録画しておいたお笑い番組や相棒なんかを見たり、ネットを楽しんだりして1日を飲んで過ごしていたと思う。ワインの勉強なんか始めていたかもしれない。そんな自分の姿が簡単に想像出来る。

それだけで済めば良いが自分への劣等感が満載だった若い頃の私は、酒に溺れていた可能性もある。そんな気がする。だから私はアルコールが合わない体質で良かった。神様ありがとう。

お酒が飲めない人は「酒を楽しめないのは人生半分損してる」と必ず1度は言われた経験がある(と思う)。しかし、お酒は飲まなければ人生得な事ばかりだ。

まず、お金がかからない。恋人や友達と食事に行った際、お酒もたくさん飲むと1人4~5千円、店によっては1万円以上?くらいになるだろう(私の予想金額)。しかしお酒を飲まなければ半分で済む。

そして、健康でいられる。膵炎、肝障害、糖尿病などアルコールの多量摂取による怖い病気はたくさんある。病気になっても止めらなれない依存症の人もいる。チュートリアルの福ちゃんは膵炎を患って以来、めちゃくちゃ好きだったお酒を絶ったそうだ。

また、常に冷静でいられるからお酒での失敗を経験せずに済む。記憶を無くして大失態を犯すなんて事は有り得ない。お酒に飲まれて犯罪まで犯してしまう人もいるのだから、アルコールの力は怖い。

他にも、堂々と飲み会への参加を拒否出来るという特典がある。「アルコールを受けつけない体なんで…」と言えば、「飲めないとつまらないよね」と同情してもらえるラッキーなケースもある。

“飲めない”というのは、参加したくない理由として堂々と発言出来る。参加しなければいけない雰囲気でも、1次会だけ出席して帰る理由にもなる。私の本当の理由は宴会の雰囲気が好きじゃないだけだけれど。

さらに、時間を有効に使える。二日酔いで体調が悪いなんて事は無い。いつも食欲はあるし、いつも外出する元気がある。週末に飲み過ぎて、せっかくの休日を丸一日潰してしまうのは勿体無い。

お酒飲めなくてヨカッタ!

但し、私はお酒を飲まない代わりに甘い物を食べる。平日は食べないが、休日に楽しんでいる。アルコールを摂取しない代わりに砂糖やバターを摂取している。

砂糖による体への害は心の病気にも繋がるというから控えなければいけない。そして、家呑みしない代わりに家おやつをするので、缶ビールを買うくらいの出費はある。

それでもやっぱり、お酒飲めなくてヨカッター!ヽ(´∀`)ノ




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ネガティブ思考な性格で悩んでいる人に気付いてほしい [考え事、感じた事]

「ネガティブはよくない。ポジティブシンキングが大切」なんて言われている。そういう類の本もたくさん出ている。

でもネガティブな感情になってしまった時、必死に「大丈夫!ダイジョーブ!前向きに行こー!イエイ♪」と無理に自分の心の向きを変えてみたところで、5分後には「駄目だ…無理だ…最低だ」とあっという間に元通りになる。

ネガティブ感情はポジティブなんて簡単に吹き飛ばすくらい強い力を持っている。

世間ではポジティブな性格が良いとされているけれど、そもそも全くネガティブ感情が生まれない根っからのポジティブシンキングな人間なんているの?

本当に心の底から常にポジティブでハッピーな人は、普段から深くものを考えない人なのでは?と思う。だから楽天的な人は、ほんのちょっとだけ…アホっぽく見えるのでは?ちょっとだけね。

ポジティブだったり楽天的な人を見ると私はつい「彼(女)はきっと本当はネガティブで、それをかき消す為に無理にポジティブを演じているのかな?」と斜めに見てしまう。

本物のポジティブ人間が存在するのかどうか…他人の心は分からないので永遠の謎だ。

世間ではネガティブ思考は悪い事とされているけれど私はこう思う。

ネガティブになりやすい人は裏を返せば思慮深く、多くの物事について真剣に考え、人より頭をよく使う人間だ、と。だからネガティブ思考に陥りやすいというのは、実は欠点ではなく美点なんだ。

しかしネガティブ感情に支配された人は大抵自分を「駄目な人間だ」と思ってしまう。それは本当に勿体無い事だと思う。せっかくの”思慮深い”という良い面を否定し無駄にしてしまっているのだから。

私はオードリーの若林さんが好きだ。彼はとてもネガティブで、物事をとてもよく考える。若林さんは自身の著書で”ネガティブモンスター”について語っている。

私も長年、ネガティブ思考に悩んでいた。その頃、本かネットの記事に「普段から手首にヘアゴムを付けておき、ネガティブな感情になったらそれをパチンと弾いてネガティブ思考を停止させる」と書かれていた。

犬のしつけか!…と思った。

一応試したけどやっぱり駄目だった。楽しい気分になろうとお風呂で大きな声で歌ってみたけど駄目だった。紙に感情を書き出してみたけど、やっぱり心は何も変わらなかった。で結局、何もしない事にした。

ただ1つ。

ネガティブ感情に襲われた時は必ず「あ、私ネガティブになっているな」と自分を客観視するようにしている。

そしてその感情に逆らわない。逆らっても無駄だから。私のネガティブ感情は、例えばその場のイライラした感情なら大体1時間~3時間程度で消えていく。自身の事や将来の不安などテーマが大きな時でも数日で消える。

ネガティブ感情が徐々に消えてくると違う事を考え始める。その時に「あ、消えてきたな」とまた自分の心を客観的に意識するようにしている。

とにかくその感情はいずれ消えるのだから、諦めて受け入れる。「さぁ来い!ネガティブモンスターよ」と。大切なのは冷静に自分を客観視できるかどうか。それが出来れば深みにはまる事は無い。

ちなみにオードリー若林さんはネガティブモンスターがやってきた時、”没頭”で対処しているそう。

同じ事をもう一度言うけど、ネガティブになりやすい人は裏を返せば思慮深く、多くの物事について真剣に考え、人より頭をよく使う素敵な人間だ。

ネガティブ感情に襲われた自分をきちんと客観視できていれさえすれば、それは欠点ではなく何事も深く深く考える素晴らしい性格なんだよー☆




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