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自己肯定感が薄れても、それでも自分なりに維持をする [性格の事]

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いつも楽しませてもらっているはてなブックマークで最近、自己肯定感について語られている記事があった。私は30代前半まで自己肯定感も自尊心も低く、自分自身を否定し続けていた。

自分が嫌いだったし、随分と泣いた。私が私という人間を「これでもいい」と徐々に受け入れられるようになったのは35歳になった頃だ。

36歳の今、自分の事が好きか?と問われると「大好き!」とは言えないが、「まぁ、私という人間も悪くはないよ」と自己否定をしない程度にはなった。人生の中盤に差し掛かった35歳という年齢での自己肯定は少々遅かったかもしれないが、そこは悔やんでも仕方がない。

そんな築き始めた私の自己肯定感が薄れる瞬間が時々ある。それは、多くの人が認めている場所、また同世代が属している場所など、そういった場所に属せていない自分を感じた時だ。

仕事、職業、出産、子育て、社交性、経験、年収、友達、経歴、飲み会、結婚、家事、建前、仲間、恋人、友情、絆、趣味、恋愛、協調性、我慢、優しさ、人付き合い、大人…。

「こうあるべきだ」という声は様々あるが、私はそこに属せていないと感じる事が多い(このブログでも結婚について度々書いている)。それらを以前ほど気にする事は無くなったものの、まだ完璧ではない。

「”自分らしく”を貫きたい」「私にとってはこれが生きやすい」そう思っていても周りから否定の声を聞けば不安になる。「やはり私は…」と、せっかく築き始めた軸がブレそうになる。

自己肯定感や自尊心が欠落してしまう理由に、幼少期の親子関係が上げられる事が多い。考えてみると私にも多少は思い当る節がある。が、本当にそれが原因かは分からない。なので私にとっては原因よりも改善方法の方が重要だ(原因が分かる事で改善方法を導き出せるのかもしれないが)

自己肯定感を高める為の方法は検索すると色々と出てくるが、何が効果的なのかは分からない。ただ、私個人が救いになっているもの、頼りにしているもの、大切にしている事。それは、ただひとつ。誰かに「共感」する事だ。

人間は1人では生きていけないと言う。それは確かにそうで、病気になれば医者の世話になるし、お金が必要ならば雇用してもらわなければならないし、自営なら顧客が必要だし、食べる為には産業に従事している人のお世話になる。困った時には誰かにタダで助けてもらえる場合もある。

「絆」「助け合い」「お互い様」「思いやり」など、そういった直接的な触れ合いは確かに大切。しかし、誰とも絆を結べない天涯孤独な人間もいるわけで。

「人間は1人では生きていけない」とは、そういった直接的な事ではなく、自分と同じ思いを抱えている誰かに共感する事で自分の心を安心させたり、誰かの言動に感化される事だと私は思っている。

どこかにいる(いた)その人の言動を心の支えにする事で、私は自己肯定をしている。だから自分の築き始めた軸がブレないように今日も誰かの本を探すし、誰かのブログを読むし、誰かの生き方を見つめては共感を探す。

様々な共感を見つけ出し、それらをレゴブロックのように組み合わせて、”私”を作り上げていけばいいと思っている。






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