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36歳、独身、友人少ない私にも男友達がいたりする [性格の事]

男性の話だけれど、特に大きな出来事もオチも無いです)

人間関係不得意な私にも1人だけ男友達がいる。2歳年下のTとは16年前、私が20歳の時にアルバイト先のレストランで知り合った。当時はお互い時間もあったので、ほぼ毎日のように遊んでいた。

遊ぶと言っても、ただTの家に行ってゲームをしたり、Tの好きな女の子のアルバイト先に偵察に行ったりと健全なものだ。Tとは笑いのツボがガッチリ合ったので楽しかった。

それでもTを男として好きにならなかったのは、もうアホ過ぎて弟のようにしか見えなかったから。そしてTからも「能面さんと一緒のベッドに入っても、何の感情も湧かない自信がある」と言われた。

その後Tは県外で就職し、私も地元を離れ、お互いに別々の生活が始まり、会う事は無くなった。それ以降1度も私からは連絡を取った事が無い。

私の中では「もう会う事も無いだろうな」と感じていたが、それでもTとは16年経った今でも繋がりがある。それは人付き合いが淡泊で、用事が無ければ自ら連絡をしない私とは違うTの性格のおかげだ。

Tは営業の仕事をしている事や生まれ持った性格もあり、とても社交的で明るくてアホだ。人付き合いが広く、すでに30代半ばだけど20代女性との出会いも多い。よく好きな人が出来たり、良い感じになったり、告白されたりするが、なかなか結婚には至らない。

Tは好きな人が出来る度に私の元へ相談の電話をしてくる。しかし私も恋愛マスターではないので、大したアドバイスは出来ない。

Tの話を聞いて、30分ほど笑い飛ばして電話を切る。するとまた3か月~1年後に電話が来る。…という感じで、会わないけれど電話だけの友人関係が続いた。

3年程前「久しぶりに会おう」という事になり、10年ぶりに私の地元で会った。レストランでのアルバイト仲間だった頃以降は電話だけの関係だったので、人見知りの私は少し緊張したがTは何も変わっていなかった。

いつも着ていたボーダーのラガーシャツがスーツに変わっていただけだった。一緒にアルバイトしていたレストランに行き、メニューも変わっていないその店のパスタを、Tは子供のように口いっぱいに頬張りながら喋っていて、相変わらずアホだなと思った。

10年ぶりに会っても、やはり笑いのツボが合うので楽しかった。バカ笑いをした。その後も相変わらず私からは1度も連絡をしていないが、向こうから恋愛相談の電話が来て、いつも通り笑い飛ばして電話を切る。

Tは、アルバイト時代以降の私の暮らしぶりや、プライベートな事をほとんど知らない。電話の時もTの話を聞くだけで、私の話はしない。

それは何故かと言うと、暗くてネガティブで人付き合いを避けている私の本性を、社交的で人付き合いが上手いTに知られたくないから。私達の会話はくだらなく、とにかく笑ってばかりなのでそれを壊さない為という事もある。

でも1度、何の話をしていた時か忘れたが「あなたは人に心開かないからねぇ(笑) 」と言われた事があって驚いた。なぜ私の秘密の部分を知っているのだ?と。

聞いたら「いや話していれば分かるよ(笑)」と言われた。いつの間にかバレていたらしい。さらに「ほんとあなたには幸せになって欲しいと思ってるんだよ」と心配された。

世間では「男女の友情は成立するか?」みたいな話もあるけど、私達にはそんな”友情”なんて熱いものは無いし、愛情も無い。あるのは笑いだけ。

いつ途切れてもおかしくないような関係だが、そんな浅い繋がりが私の性格には合っていた。つかず離れずが丁度いい。Tが結婚すれば私達の繋がりは無くなるだろうけど、私もTには幸せになって欲しいと心から思っている。




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飾りのパセリや付け合わせ野菜もペロリと食べちゃう人 [性格の事]

嫌いではなく、そういう人が好きという話。

以前テレビでギャル曽根さんが大食いをしていた時、その食べ方の綺麗さ(口の周りが汚れないようにする事はもちろん、米粒も皿に残さない)に感激して、それ以来私も食べ終わった後の皿がキレイになるよう意識するようになった。

なるべくソースも皿に残らないよう、パンがあれば必ずつけて食べる(マナーの問題はフランスはOK、アメリカはNGなど国によって違うらしいが、私は日本のリーズナブルな店にしか行かないので気にしない)

海老フライの尻尾はカリカリしていて美味しいので、もちろん食べる。サンドイッチに乗っているパセリも、バニラアイスに乗ったミントの葉も、ハンバーグに乗ったクレソンなど、飾り野菜もとにかく全部食べまくる。

ちなみに私の姉は、刺身のつまもキレイに食べる人なので見ていて気持ちが良い。ちょっと話は違うけれど、ブロッコリーを茹でる時には茎の芯の部分も使う。

そんなふうに皿に乗った食材を全て食べるようにすると、食べ物に対して「もったいない」という意識が働くようになり、無駄にする事に対して罪悪感を抱くようになってくる。

以前、テレビ番組で鮭の皮は食べる?食べない?という街頭アンケートをしていて、結果は半々だった。私はそれまで鮭の皮は当然のように残していたので「食べるものなのか!」と驚いたし、残していた事を少し恥ずかしく思った。

皮にはコラーゲンが豊富で好きな人も多いと知り、「ちょっとヌルヌル感が気にならないでもないが…」と思いつつ、勇気を出して食べてみると意外とイケた。なので、それからは食べるようにしている。個人的にはパリパリに焼いた方が好きだ。

余談だけれど、この街頭アンケートを受けた男性が「鮭の皮を食べる人は可哀想。貧相。妻が食べていたらやめなさいと言う」 みたいな事を言っていて、何とも嫌な気持ちになった。

そんな感じで私は「皿をキレイに」を心掛けて食事をしているのだけれど、そうなると相手の皿も少々気になるようになってくる。思わずチラリと見てしまう。

満腹で残すという分には仕方がないと思うのだが(私も食べきれずに残してしまう事が時々ある)、そうではなく、完食しているのに皿にご飯粒がたくさんついていたりすると少し残念に思ってしまう(´-ω-)ウムー。

だからといって相手を嫌いになるわけではない。でもキレイに食べる人だと嬉しい。以前、付き合った人と何度目かのデートをした時、食事が終わった私の皿を見て「キレイに食べるね」と褒めてくれ、それからは彼もキレイに食べるようになった。

彼はそれを「合わせなきゃいけなくて面倒くさいな」と感じたか、それともキレイに食べる事を心地良く感じたかは分からない。こればかりは価値観の違いというか性格や習慣の違いもあるので、自分と違うからといって否定はしないし、強要もするつもりもない。

けれどキレイに食べる事が相手にマイナスな印象を与える事は無いし、食べ物への感謝の気持ちにも繋がるので、これからもこの習慣は続けたいと思っている。

皿洗いも楽になるしね。





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私のコミュニケーション能力(外面)は30分までいける [性格の事]

私は人とのコミュニケーションが好き!という人間ではない。けれどコミュ障という程でもなく、初対面の人や慣れない人とも人並みの会話は出来る。短時間なら。

私のそれには時間の限度があり、どんなに長くても30分程度。なので1回につき2時間程かかる飲み会のような場では、最初の30分に全力を注いでしまうと徐々に静かになっていき、後半「どうしたの?」と心配される事になるので、最初からマイペースで喋らない自分を醸し出す事にしている。

そんな私は1年に1度、少々憂鬱な事がある。それは私のボロ愛車の点検だ。毎年お世話になっている近所の自動車整備工場は家族と数人の従業員で経営している。

(余談だけれど、このボロ愛車は5年前に20万円で購入した。購入当時、7年落ちで走行距離は25,000キロ。現在まだ大きな故障もなく劣化部品の交換のみで済んでいて、見た目は古いが頑張って走ってくれている。

家賃や駐車場の費用はかなり抑えているとはいえ、ただでさえ低所得な私の家計は車の税金に圧迫されている。が、それでも音楽を聞きながら運転する事が好きなので手放せずにいる。その分、他の事でお金を使う事が殆ど無いから、まぁいいかな…と)

で、その整備工場。まず予約の電話を入れるのだけれど、その一家は誰が電話に出ても愛想がない。ぶっきらぼうでちょっと怖い。

とはいえ、この一家は無愛想なのだけれど人は良く、整備工場の評判も良いようで客も多い。私に対しても女だからといって足元を見るような事はせず、点検した箇所の説明をきちんとし、必要最低限の部品交換だけで済ませてくれるのでありがたい。

でも電話は無愛想。なので電話をかけるのが嫌だ。しかし点検の予約は入れないといけない。しかし相手はぶっきらぼう。でもかけなければ…。そんな思いで、ただ”電話をかける”というだけの行為が憂鬱で仕方ない。

相手の表情が確認できない状態で会話をする電話というものに私は苦手意識がある。苦手意識がありながらも、コールセンターで働いていた経験があるので、無駄にハキハキしていたりする。これは30分までなら可能な私の外面だ。

***

で、無事に点検終了。次の難関は精算時。ここの奥さんが、それはもうとにかくお喋り好きなのだ。その上、精算時にまだ請求書が作成されていなかったりする。

そんな奥さんはマイペースなのだけれど、私の淡々としたマイペースとは違い、手よりも口ばかりが動くのでなかなか請求書が作成されず精算が終わらない。

いつも精算だけに20分程かかるので、ちょっと面倒くさい。しかし私のコミュニケーション能力は30分まではなんとか可能。ここでも無駄にハキハキとした外面を発揮してしまう。それもあって精算の時間が伸びているのかもしれない。

奥さん「なんだか夕方になると寒くなるわよねぇ。外に出たら風が冷たくてビックリしちゃった」私「北海道は雪が降ったらしいですね。でもこの辺りも2~3年前、桜が咲いている時に雪が降った事がありましたよね。あの時はビックリしましたよ」

なんて。面倒くさいと言いながら私もペラペラと喋っている。こんな時は普段と違う外面の自分がムクムクと表れ、完璧に世間話をこなしてしまうのだ。但し30分以内なら。

たった1年に1度の事なのだけれど、そろそろという時期になると「あぁまた点検か」と憂鬱になる。勝手に外面を発揮しておきながら、勝手に憂鬱になる私は一体ひとりで何をしているんだろう…と思う。




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私に友達が少ない理由(明日ご飯に誘える相手はゼロ) [性格の事]

こんなまとめ記事を見た。「友達いない、作り方忘れた」人付き合いで孤独を感じた時に確認したいこと」

まとめ記事の前半は「友達がいない人には問題がある」というような内容が多く(私にはそう見えた)、友達が少ない私は結構腹立たしかった。が、このまとめ記事は「一人ぼっちで寂しいと感じている人」向けのようなので、私には関係ないと自分に言い聞かせて気持ちを落ち着かせた。ふぅー。

このまとめ記事の中にこんな文章があった。「友達ができないって人は、自分にしか興味がないんだと思う。他人に興味がない、関心がない。感心なんて絶対にしない」「自分に興味を示さないような人と会いたいとは誰も思わないと思う。逆に自分に興味を持ってくれる人、話を聞いてくれる人とは会いたいと思う」

これらの文章を読んで、自分に友達が少ない(気軽に「明日ご飯食べに行かない?」と言える友達はゼロ)理由について、改めて考えるきっかけになった。

***

まず「(友達ができない人は)感心なんて絶対にしない」というのは偏見だ。けれど「(友達ができない人は)自分にしか興味が無い、他人に興味が無い」というのは…あ、私の事だ。このブログも自分の事ばかり考えて書いているからね。

そもそも「他人に興味」というのが、どういう事なのか私にはよく分からない。考えてみたのだけれどピンと来ない。他人の何に興味が湧くのかが分からない。…そういう感覚が無いという事は、やはり私は他人に興味が無いという事なのだろう。

でも、人に全く興味・関心が無いわけではない。このブログでも過去に書いた事があった気がするが、私には好きな有名人がいる。その人の考え方や生き方が好きだし、憧れている。その人の思考や関心のある事については小さな事でも知りたいと思う。

また有名人ではなく、ブログを書いている一般の人でも興味がある人は何人かいる。有名人に対してと同様、その人の思考について知りたいと思うのでブログをチェックしている。

けれど。

この有名人やブログを書いている一般の方と友達になりたいかと言えば少し違う。話を聞いてみたいとは思うが、一緒に遊びに出掛けたいというような気持ちではない。私が興味を持つ人というのは、一緒に楽しい時間を過ごしたい相手ではなく、人格や生き方に尊敬や共感をする人間だ。

もちろん友達に対しても尊敬をする部分はある。合コンに誘ってくれるMちゃんは、とても社交的で交友関係が広く、私に無いものをたくさん持っているので尊敬している。だけど、私はMちゃんを尊敬しているから友達になったのではない。友達になった後、尊敬する部分を見つけたのだ。

[関連記事]
・渋々行った合コンで男性陣がしてくれた質問が嬉しかった
・合コンという出会いの場に今回は行きたくないなと思う

じゃあMちゃんに興味や関心は無いのか?と言われると、Mちゃんの考え方や生き方、趣味等について特に知りたいとは思わないので、やはり興味は無いのだと思う(もちろんMちゃんからそういう話が出れば、語り合うと思うが)。そして、私も自分自身に興味を持ってもらいたいとは特に思っていない。

じゃあ何故Mちゃんと友達になったのか?と言われると、その答えはただひとつ。笑いのツボが合うから。

こういう言い方をすると「笑いに厳しい芸人好き」みたいな感じがするけれど、そういう事ではない。思わず「あはは」と声を出して笑ってしまう場面やモノが一緒だから、Mちゃんとは楽しい時間を過ごす事が出来る。

私はこれを結構大事に思っていて、学生時代から今まで、笑いのツボが合うというだけで友達になっていたし、男性もそういう人を好きになる場合が多かった。

だけど私の場合、1人でいる事が好きだったり、他人に興味が無かったり、出会いの場に消極的だったり、人見知りだったりで、人との笑いのツボを確認し合うまでに至らないので友達が出来にくい。そして友達が出来たとしても連絡をマメに取らないので、いつの間にか疎遠になっている。

と、こんな感じで「私に友達が少ない理由」が改めて分かったが、私のような人間は冷たいと言われる事もあるので、もしからしたら「ただ単に性格が悪いから」という可能性も否定出来ない。




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自己肯定感が薄れても、それでも自分なりに維持をする [性格の事]

いつも楽しませてもらっているはてなブックマークで最近、自己肯定感について語られている記事があった。私は30代前半まで自己肯定感も自尊心も低く、自分自身を否定し続けていた。

自分が嫌いだったし、随分と泣いた。私が私という人間を「これでもいい」と徐々に受け入れられるようになったのは35歳になった頃だ。

36歳の今、自分の事が好きか?と問われると「大好き!」とは言えないが、「まぁ、私という人間も悪くはないよ」と自己否定をしない程度にはなった。人生の中盤に差し掛かった35歳という年齢での自己肯定は少々遅かったかもしれないが、そこは悔やんでも仕方がない。

そんな築き始めた私の自己肯定感が薄れる瞬間が時々ある。それは、多くの人が認めている場所、また同世代が属している場所など、そういった場所に属せていない自分を感じた時だ。

仕事、職業、出産、子育て、社交性、経験、年収、友達、経歴、飲み会、結婚、家事、建前、仲間、恋人、友情、絆、趣味、恋愛、協調性、我慢、優しさ、人付き合い、大人…。

「こうあるべきだ」という声は様々あるが、私はそこに属せていないと感じる事が多い(このブログでも結婚について度々書いている)。それらを以前ほど気にする事は無くなったものの、まだ完璧ではない。

「”自分らしく”を貫きたい」「私にとってはこれが生きやすい」そう思っていても周りから否定の声を聞けば不安になる。「やはり私は…」と、せっかく築き始めた軸がブレそうになる。

自己肯定感や自尊心が欠落してしまう理由に、幼少期の親子関係が上げられる事が多い。考えてみると私にも多少は思い当る節がある。が、本当にそれが原因かは分からない。なので私にとっては原因よりも改善方法の方が重要だ(原因が分かる事で改善方法を導き出せるのかもしれないが)

自己肯定感を高める為の方法は検索すると色々と出てくるが、何が効果的なのかは分からない。ただ、私個人が救いになっているもの、頼りにしているもの、大切にしている事。それは、ただひとつ。誰かに「共感」する事だ。

人間は1人では生きていけないと言う。それは確かにそうで、病気になれば医者の世話になるし、お金が必要ならば雇用してもらわなければならないし、自営なら顧客が必要だし、食べる為には産業に従事している人のお世話になる。困った時には誰かにタダで助けてもらえる場合もある。

「絆」「助け合い」「お互い様」「思いやり」など、そういった直接的な触れ合いは確かに大切。しかし、誰とも絆を結べない天涯孤独な人間もいるわけで。

「人間は1人では生きていけない」とは、そういった直接的な事ではなく、自分と同じ思いを抱えている誰かに共感する事で自分の心を安心させたり、誰かの言動に感化される事だと私は思っている。

どこかにいる(いた)その人の言動を心の支えにする事で、私は自己肯定をしている。だから自分の築き始めた軸がブレないように今日も誰かの本を探すし、誰かのブログを読むし、誰かの生き方を見つめては共感を探す。

様々な共感を見つけ出し、それらをレゴブロックのように組み合わせて、”私”を作り上げていけばいいと思っている。




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私は駄目だと思いながら、こうして今日も引きこもる [性格の事]

今に始まったことではないが、職場環境が辛い。私の職場は私を含めた3人体制で業務を行っている。比較的暇なので仕事内容的には楽だ。しかし同僚との関わりが辛い。いじめ等ではなく、単に”反りが合わない”という、よくある事だ。

私がここで働き始める以前、この部署は人の入れ替わりが激しかったそうで、環境に同情してくれる人もいる。とは言っても、私と反りが合わない2人は他部署の人間と仲良くしているので、私の方に問題があるのかもしれないとも思う。そんな環境を辛い辛いと思いながら数年が経った。

元々、自己中心的で人に合わせられず、孤独がお似合いの私だが「人と関わりたくない」という気持ちは、この職場に来てより一層強まった気がしている。とにかく1人になりたい。すぐにでも1人になりたい。

我慢している平日の反動からくる、金曜の心の踊りようといったらない。そしてまたやってくる日曜午後の憂鬱。サザエさんが始まるもっと早い時間から私の憂鬱は始まり、月曜を迎えたくないという気持ちで就寝時間が遅くなる。

帰宅後と週末、1人になる事でストレスの解消は出来ているので爆発するような事はない。ただ、このような歓喜と憂鬱という振り幅の大きな感情が、波のように毎週毎週やってくると「こんな気持ちをずっと感じながら生きていくのか…」と人生に嫌気がさしてくる(人生なんて言葉を使うのは少々大袈裟だろうか)

職場では、同僚の終わらない雑談や歌声、奇声のような笑い声が、私には動物の鳴き声や車の騒音のように聞こえ、不可解で不愉快で耳障りだ。時々トイレに逃げ込み気持ちを落ち着かせるも、気休めにしかならない。

帰宅後はなるべく静かな環境で過ごしたいと思うようになり、無意味にテレビをつける事はなくなった。無音もしくは、心地良い音や音楽、心が弾むラジオ番組で耳を支配したい。そして何も考えずに、ぼーっとしたい。

この職場に居続けているのは私自身の選択だ。嫌なら辞めればいい。人間関係は運だとしても、仕事自体が好きであればきっと我慢も出来るだろう。仕事も合わないのであれば職を変えればいい。

しかし、こうして辛い辛いと言いながらも今の仕事を辞められないのは、のほほんと生きてきた自分の社会的能力の無さが原因だ。私に出来る仕事は少ない。自業自得なのだから我慢するしかない。

人に合わせられない私は、おそらく今後、別の職場に行っても「辛い辛い」と愚痴るだろう。どうにか働いて生活を維持しているが、基本的には社会不適合者なのだ。ギリギリのところで踏ん張っているだけだ。

生活を維持しなければいけない。その為にはマイペースを封じる必要がある。時々世捨て人になりたいなんて思う事もあるが、そんな勇気も無いのだし。




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美容院はやっぱり苦手で、どうにも落ち着かないという話 [性格の事]

ホットペッパービューティーのポイント1000円分が、月末で期限切れになるので美容院に行ってきた。美容院が苦手な私はあまり頻繁に行かないので、そろそろ髪がモッサモッサになってきてヤバいなと思っていた。そんな時に"ポイント期限切れ"が「女なんだから行け」と背中を押してくれた。

今回行った美容院は初めてのお店で「自宅から近くてカットが安くて、ホットペッパービューティーから予約が出来る」という理由で選んだ。ホットペッパービューティーから予約するとポイントを使えるのはもちろん、「静かに過ごしたい」or「楽しく過ごしたい」が選べるので人見知りな私には非常にありがたい。もちろん私の選択は「静かに過ごしたい」だ。

ちなみに私は、いつも行く美容院は決まっておらず数軒をグルグルと回っている。それは、1つの店に長く通うようになり、美容師さんと顔見知りになると"弾む会話"をしなければいけないような気がするからだ。そんな事は無いのかもしれないが、そう感じるのは私だけじゃないはずだ、きっと。

(さらに、ちなみに。私は美容院でも飲食店でもアットホームを売りにした店が苦手)

今回はシャンプーとカットをしてもらう事にした。私を担当してくれた美容師さんは30歳くらいの男性だった。初めて来店する美容室だったので、私はちょっと緊張していた。

まずはシャンプー台へ。頭をゴシゴシ・アワアワしてもらい「痒いところはありませんか?」と聞かれたので「大丈夫です」と答えると、お湯でサー。気持良く流してもらっている最中、私はちょっとした失態を犯してしまった。

隣のシャンプー台の男性スタッフがお客さんに「流し足りないところは無いですか?」と聞いているのに対し、「ありません」と私が答えてしまったのだ。

「あ、あれ?私じゃなかったですか?あはは^^;」と笑ってごまかしたら、「僕も聞こうと思っていたところだったので丁度良かったです」とナイスフォロー。

その後、席へ移動。そしてチョキチョキ。私の髪は顎くらいの長さなのだけれど、左右の長さを確認する時に美容師さんの手が私の頬をかすめる。その時、私はいつも「あわわ」と少し恥ずかしい気持ちになる。

(じゃあ「女性スタッフを指名すればいいじゃないか」という感じなのだがそうしないのは、本当は心の奥で「あわわ」となりたい欲求があるのかもしれない)

美容室のオシャレな雰囲気が苦手な私は、どうにも落ち着かない。雑誌ananに集中しようとするものの、中身に興味が持てない。仕方ないので瞑想しようと思い、膝に手を置き目を閉じていたら「あ、本とかスマホとか見てくれて全然大丈夫ですからね(笑)」と言われた。

緊張しているように見えたのだろう。もう36歳だというのに…。とりあえず今日の美容室はスタッフが多く、アットホーム感は一切無く、なかなか良かったので、しばらく通って様子を見よう。




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内向的人間のストレス解消&エネルギーの補充方法 [性格の事]

昨日、「出会いに積極的になった方がいいと思いつつ、合コンに行きたくない」という内容の記事を書いた(合コンという出会いの場に今回は行きたくないなと思う)。

その記事に対してもらったコメントの中に「人と会ってエネルギーをもらうタイプ・エネルギーが出て疲れてしまうタイプ」という言葉があり「あぁそうだった」と、改めて自分の性質や普段私が感じるストレス、解消方法などについて考えてみた。

自分の外側にある物事に価値を見出し、それを大切にする外向的人間は、他人と触れ合う事がエネルギーとなる。一方、自分の内側(自分の考えや世界)に価値を見出し、それを大切にする内向型人間は、他人と触れ合う事で気疲れしエネルギーが消費されてしまう。

(関連記事:内向的な人と外向的な人の違いをまとめるとこんな感じ

人はどちらか一方に属しているわけではなく、両方が混じりあって形成されているのだけれど、私の性格はかなり内向的人間に偏っていると思う。その為、気心が知れた人以外と過ごす事で気疲れし、エネルギーが消費されてしまう。

というわけで「自分の気持ちに素直になろう」と都合よく考え、内向的人間の思考を肯定するという事で、今回の合コンは断る事にした(説明がまわりくどい)

そんな感じで、合コンや飲み会などの場でエネルギーを消費してしまう私は「みんなでパーッと遊んでスカッとストレスを解消しよう!」という考えがまるっきり無い。では、どうやってストレスを解消しているのか?

考えてみると、そもそも私は普段あまりストレスを溜め込む事が無い。イライラしたり疲れたりとストレスを”感じる”事はあっても、それを”溜め込む”事はないように思う。

私が普段感じているストレスの1つは、苦手なタイプの人に囲まれた職場での人間関係。これは帰宅し、1人の時間を過ごす事でストレスを解消出来ている(なので今回の合コンも大事な休日を潰したくないという気持ちが強かった)

独身でひとり暮らしの私は、仕事以外ではほとんどの時間を1人で過ごしているので、自然とストレス解消&エネルギー補充が出来ているのだ。
(゚∀゚ノノ” パチパチ☆

それともう1つあるストレス。これは余談になるが、引っ越してきた隣人がうるさい。常に誰かとの話し声が聞こえ、それが深夜に及ぶ事もある。騒いでいるわけではなく普通の会話音量なのだが、どうにも私の部屋に伝わってきて気になる。

これに関しては毎日ではないので、とりあえず不動産屋には言っていない。私は部屋で心地よい音楽や音を、ワイヤレスイヤホンで聴きながら過ごす事で対処している(これは微々たる騒音への対処法だが、音楽や音を聴く事もストレス解消になるそう)

他にも私のストレス解消&エネルギー補充方法として「気心の知れた人と語り合う」というものがある。ただ友人が少ない私は、これを実践できる頻度がかなり少ない。

その代わりとしてブログや本を読む。他人との共感ポイントを見つけたり、他人の考えを読んで「なるほどなぁ」と納得し、頭の中が整理されると余計なモノが排出され、エネルギーが補充されるような気待ちになるのだ。

こうして考えてみると、私のように引きこもるタイプの人間ほど上手くストレスを発散できているのではないか?と思う。さらに私の場合、こうしてブログでも想いを綴っているので、常にモヤモヤしているように見えても、実はそれなりに精神は安定しているのだと思う。

(ブログを書いている人は、内向的要素が多少なりともあるのではないかな?と私は密かに思っている。それは内気やネガティブという事ではなく、自分で考える事が好きで、その考えに興味を持っているという意味)

そして私とは逆に、人と触れ合う事でストレスを発散するタイプの人や1人でいる事が寂しいと感じてしまう人は、ストレス発散の為にお金を使ったりお酒を飲んだりで、実は結構大変なのかもしれない。…と、私のような「駄目な人」と思われがちな内向的人間を正当化してみたりする。




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ただ「雨が好きだから雨女」というだけの、それだけの話 [性格の事]

私は雨女だ。降ったら困るな…という日に雨が降る事が多い。帰省する日、犬を病院に連れて行く日、山に登る予定だった日、久しぶりに友達に会う日。そして傘を忘れた日。家を出た途端に雨が降り出し、自宅に戻るとすぐにやむ。

なぜ私が雨女なのか?それはとても簡単な理由で、雨が好きだから。

雨音を聴くスマホのアプリがある。雨音は神経を落ち着かせリラックスする効果があるそうだ。雨の音が好きという人は多いらしい。私ももちろん好き。雨粒が地面や屋根、傘に落ちた時の音はどんな音楽よりも心地よくて、いつまてでも聴いていたい。

暗い空も好きだ。もちろん青空も好きだけど曇り空も好き。いや、曇っている方が好きかもしれない。空が濃いグレーの雲に覆われて、朝なのに「あれ?もしかして今って夕方?」と思うほど暗いの雨の日。昼間なのに部屋の電気を点けないといけないくらいの暗さもいい。

雨の休日は嬉しい。窓の外で降り続いている雨と空の色を何度も確認してしまう。美味しいクッキーとコーヒーでも飲みながら、暗い部屋で雨音を聴いていたい。雨音が聴きたいので霧雨のような小雨ではなく、本降りが望ましい。

雨の日を好むのは決して暗い気持ちになっているというわけではなく、ただただ心地良くて気持ちが落ち着くから。それと、雨に濡れた草木やアスファルトの匂いも好きだし、長靴で水たまりを歩くのも好きだ。

そんな感じで、私は雨が好きだから雨女なのだと思う。私が出かけようとすると、雨が私にちょっかいを出してくるのだ。可愛い奴め。

***

子供の頃、毎週日曜は父と母と私の3人で近所の大型スーパーに車で買い物に出かけていた。私が小学校低学年くらいの頃だ。私には姉がいるが、歳がだいぶ離れているので一緒に行く事は無かった。いつも私と父と母の3人。

その買い物の思い出が「雨」だ。特に何の出来事も無いのだけれど、雨が降っていた記憶が強く残っている。父が運転、母は助手席、私は2人に挟まれ真ん中にちょこんと座っている。

買い物に行く日がいつも雨だったわけではないと思うが、何故か思い出は雨。3人が乗っている安い軽ワゴン車の古いワイパーが、ウィンウィンと音を立てて左右に動き、フロントガラスは常に曇っていた。

雨で濡れた道路を車がバシャーバシャーと音を立てて走り、行き交う車の点灯したライトが次々と道路に反射し、それを見て「きれいだな」と思った。そんな記憶が妙に残っていて、雨が降るとなんとなく懐かしさを感じる。

そんな思い出があるから雨が好きなのか、ただ単に暗いところが好きなのかよく分からない。ただ私は、明より暗、陽より陰、昼より夜が好きで、やっぱり晴よりも雨が好きだ。

雨女・雨男の方々は私同様、本当は雨が好きなのでは?




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言葉の裏を読んでしまうくせに社交辞令の裏は読めない [性格の事]

11月中に会う予定だった女友達Yさんから昨日LINEで連絡が来た。滅多に人から連絡が来ない私のLINEが反応したのは正月以来だろうか。最近聞いていなかったスマホのバイブ音に、私は一瞬ビクッとなってしまって、なんだか1人で恥ずかしい。

Yさんからの連絡は「今月予定が立たないので、会えるのが少し先になりそう」という文言と、黄色の全身タイツを着た人が謝っているスタンプだった。残念だけど仕方ない。Yさんとは自宅が少し離れているし、休日も違うので会えるタイミングが合わない事もあるのだ。

だけど。

こういう時、私は無意識にその人の言動や文章の裏側を読み取ろうとしてしまう。「本当はもう私と会うのが面倒になったんじゃないか。会える日をあやふやにしているのかも」…と。こうして客観的に考えると、我ながらバカバカしい思考だなと思う。そう考えるという事は、私はYさんを信頼していないという事じゃないか。

こういう思考になったのは今よりずっと若い頃、女子高時代の女友達が急に私から離れてしまった事がきっかけになっていると思う。離れていった原因は分からないけれど、私が随分自分勝手だったのだろう。

彼女に電話をしてもそっけなく、早く切りたそうな態度。街で偶然見かけたので声をかけるも、彼女は友達だったとは思えない程よそよそしく、無表情でお辞儀だけして足早に去っていってしまった。

36歳になった今でも、あの子と仲直りする夢を見てしまう。

そんな経験があるからか分からないが、どうにも私は「嫌われたのかも」という思いが頭をよぎる事があり、その人の言動の裏側を見ようとする癖がある。別の本音があるのではないか?と勘ぐってしまう。もちろん口には出さないが。

そのくせ私は、社交辞令の裏にある本音が読み取れない。例えば「また今度、是非行きましょう」と言われた場合。「是非」いう単語が入っていると、私はそれを本音だと思ってしまう。

なぜなら、私は社交辞令で「是非」は使わないから。私なら、行く気が無い場合「では、また」程度の挨拶で止めておく。私の主観で考えると「是非」は社交辞令ではないのだけれど、世間はそうではないらしい。

その辺がよく分からなくて社交辞令を真に受けてしまい、私から男性を2~3度誘うも全て断られ、そこでやっと「あ、あれは社交辞令だったのか」と気付く。…という恥ずかしい思いをした事がある(/-\*) 他人の言う「今度是非」は全て一旦、社交辞令と捉えた方が良さそうだと学んだ。

こんなふうに言葉の裏をネガティブに読んでしまうくせに、社交辞令は見抜けない…という私の面倒くささ。嫌だわ。

そんなこんなで私は思う。

他人の言葉の裏をネガティブに読もうとする事は止めなければいけないし、自分も他人に対してなるべく裏のある言葉は使いたくない。社交辞令もなるべく使いたくない。でも時と場合によっては、言葉の裏を読まないと「空気が読めない人」とされてしまう事もあるので厄介だ。




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