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皆がスマホを使っていても自分はガラケーでいいと思う事 [日々の出来事]

今日スマホをガラケーに戻した。もし誰かからLINEに連絡があったらいけないので、ほとんど心配は無いが一応アカウントを削除しておいた。これで相手のLINEから私の名前が消える。

私が過去に使っていたガラケーはボロボロだったので、中古のものを購入。ガラケーなんて1,000円くらいで売っていると思っていたけれど、意外と高くて驚いた。新品ならスマホと変わらない。それでも、充電器も付いているキレイな中古品を安く手に入れられたので良かった。

職場の人にそのガラケーを見せたら「PTってどこの会社?」と聞かれた。私はメーカーまで気にしていなかったのだけれど、そのガラケーはPから始まるパナソニックでもなく、SHから始まるシャープでもなく、Kから始まる京セラでもなく、Tから始まる東芝でもない。PTだった。

よく見たら"PANTECH"と書かれている。どうやら韓国メーカーらしい。「PANTECHってなんだよw」と笑われたけど、私にとって携帯はそんなに頻繁に使うものでもないから、メーカーなんてどうでもいい。別に簡単ケータイでもいいと思っていたくらいだ。

来月分からガラケーのプランが適応される。基本使用料とパケット定額サービス合わせて月額約1,800円。貧乏な私が、今までスマホに9,000円近く支払っていた事を考えると嬉しくて心が弾む。

格安SIMも考えたけれど、スマホは自宅のWi-Fiで使えればいいので、とりあえず今はやめておく事にして今後考えていく事にした。なんだか久しぶりのガラケーが愛おしく感じる。

私は人と違う事したり、時代の流れに逆らったりする事に美学を感じるようなタイプではない。でも今回の「スマホをやめる」という行動に関しては、そんな自分が嫌いじゃない。

私は低所得者なくせに、車と犬を持っている。私にとって車も犬も必要で手放せないものだ。それに比べるとスマホは便利だけど、そこまでの価値を感じなかった。

そうやって自分にとって必要なものと不要なものを分けて、収入の範囲内で生活をやりくりしている自分を私は立派だと思っている。36歳なのだからそのくらいは当たり前の事だと言われても、それでも私は自分を褒めてもいいと思っている。

SONYじゃなくてPANTECHでいい。スマホじゃなくてガラケーでいい。でも車と犬は絶対に手放さない。自分の暮らしに何が必要で何が不要か?何は手放したくないのか?代わりに何を手放してもいいのか?

私は暮らしと同じように今後の人生においても、何を最優先にしたいのか?どんなふうに生きたいのか?と、最近そんな事をよく考えている。以前はみんなと同じ事をしたいと思っていたけれど、今は考えが変わってきた。

子供も夫もいない私は、我が道を歩んでも誰にも迷惑をかける事がない自由の身。だから好きな事、やりたい事があればとこんとんやろうと思っているし、嫌な事や必要のない事はもう頑張らない。みんながやっている事でも、それが私の性格に合わなければやらない。

ガラケーの話から飛び、支離滅裂な感じになってしまった。要するに、独り身なのだから世間の価値観ではなく、自分の価値観を再優先にしていこうと思っている…という事が書きたかったのだけれど、上手く言葉が見つからなくて悔しい。あぁもっと語彙力が欲しい。

*****

普段は「昨日はネガティブだったけど今日はポジティブ」という感じで、脳や心が目まぐるしく変化する私なので、明日の思考はどうなっているか分からないけれど、最近は徐々に自分が大切にしたい物事が見えてきたような気がして、わりと心がときめいている。




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ネガティブ思考の時に没頭出来そうな物を見つけた [日々の出来事]

先日、「私をハッピーにさせ、ブログネタも思いつく素敵な徘徊」という記事を書いた。これは散歩ではなく”徘徊”をしているとランナーズ・ハイならぬ、ウォーキング・ハイならぬ、徘徊・ハイになって、気分が良くなりブログのネタも浮かぶのでオススメですよ~という内容。

私は少々ネガティブ思考なところがあり、現在・過去・未来、全てにおいて不安になったり後悔したりで、落ち込む事がある。そんな時に外に出て音楽を聴きながらテクテクと徘徊するのも良いのだけれど、いつでもすぐに出来る事ではない。夜は危ないし。

そういう時は部屋でイヤホンをつけ、外を走る車の音などの雑音が耳に入らないようにして音楽に集中するのだけれど、そうすると本も読めないし、テレビも見られないので手持ち無沙汰になる。

そんな時にふと、ファンであるオードリー若林さんが、著書(社会人大学人見知り学部卒業見込)でネガティブ感情について「ネガティブモンスターと戦うのはポジティブではなく没頭」と語っていた事を思い出した。

で。私は以前から時々「今度買ってみよう」と思いながらも、なんだかんだで忘れていて結局買わずにいた物があり、それをネット通販で注文した。それは、塗り絵。

少し前に、"大人の塗り絵"シリーズが話題になった。大人の…と付くだけで何かいやらしいものを想像してしまうのはきっと私だけではないはず。でもいやらしい塗り絵ではない。本格的な絵画を気軽に色鉛筆で色付けする、大人が楽しめる塗り絵だ。

ただ、これは絵が日本の世界遺産や海外の風景だったり、ルノワールやフェルメールの絵画だったりする。絵心の無い私では、これらの奥行きや丸みを色鉛筆で濃淡を付けて表現する自信が無い。私は、ただ塗りつぶす事しか出来ないのだ。

風景などではないもので、出来ればなるべく細かい絵がいいなと思って探していて、ちょうど良さそうなものを見つけた、それは、ドーヴァー出版(Dover Publications)というアメリカの出版社が出しているもの。私が今回初めて買ってみたのはマンダラの塗り絵(Mystical Mandala Coloring Book)だ。

幾何学模様の中に花や動物が描かれていたりして素敵。ページを開くと色付けのサンプルも描かれていて、とても綺麗。美しい。見ているだけでワクワクする。マンダラ以外にもペイズリー柄や和柄のようなものも売っていた。

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原紙に直接塗るのではなくコピーして楽しもうと思う。最初は”没頭”の為と思って購入したけれど、もうこれは楽しむ為のものになりそうだ。細かい作業が好きな人にオススメ。

値段もたったの¥729だった。色鉛筆を持っていなかったので24色のものを同時に購入。

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私に絵心があれば自分で絵を描いて塗りたいのだけれど…。試しに可愛い動物のイラストを描いてみよう!とペンを持った瞬間、手も思考も完全に停止してしまう。どう描いていいのかサッパリ分からない。なので、私には塗り絵がちょうどいい。

雨の休日、音楽を聴きながら塗り絵に没頭するのも楽しそうだ。おひとりさまの趣味が1つ増えた。




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「それに比べて私は」思考を消した小さなワクワク感 [日々の出来事]

精神的に体調が悪いようで、最近会えていない既婚の女友達がいる。体調が良くなればそのうち連絡してくるだろうし、あまり様子を伺うのもアレなので私の方からも連絡はしていない。

友人は時々LINEのタイムラインに写真をアップしているので「写真がアップされていれば元気って事だな」と思い見てみたら、野球観戦をしていた。元気そうで良かった。旦那さんが草野球をする人らしいので一緒に行ったのだろう。私と会う時に話す旦那さんの話は、独身の私に気を使っている為か、冷めた内容ばかりで良い話を聞いた事がない。でも、なんだかんだで幸せなのだろう。

そんな写真を見た瞬間、普段「これだけは思うまい」と意識している言葉が、ほんの一瞬脳裏をよぎった。

(それに比べて私は…)

おっと!いけない、いけない。変な思考に巻き込まれるところだった。あぶね。

私がもしFacebookなんてものをやっていたら右も左も前も後ろも全ての芝生が青く見えて、頭を抱えていたかもしれない。必死に「楽しく充実した毎日を送る独身女性」を演じ、今とは違った方向で痛い女に一直線だったかもしれない。おー怖い怖い。

そんな私の休日。本当はどこか公園にでも行って花見をしようと思っていたのだけれど(あ、もちろん1人で)急に雨が降り出しそうな危うい天気だったのでやめた。で、いつも通り近所の喫茶店に行き、図書館で借りた《読書は1冊のノートにまとめなさい》を読んだ。

私は読書家というほど本を読んでいるわけではない。ほんの娯楽だったり、悩んだ時の手引きだったりで、本の知識が豊富なわけではない。書評を書くほど掘り下げる自信も無いので、このブログでは4コマ漫画とタレント本程度しか紹介した事が無い。

そんな私がこれを読んだのは、せっかく本を読んでも内容を忘れてしまう事が多く、きちんと記憶して身になる読書をしたいという思いから。何か良い方法はないか?と探っているうちにこの本に辿り着いたのだ。

読書ノートは、以前からつけてみようかなと思ってはいたものの「日記と同じでどうせ私は長続きしないだろう」という気持ちがあって挑戦せずにいた。それに”読書感想文”は苦手だ。

でもこの本を読んでみて、私でも出来そうな気がしてきた。読書ノートというのは、きちんと長い文章で感想を書くものだと勝手に思い込んでいたけれど、この本には「○月○日期待以上に面白かった」の一言でも良いと書かれている。

読んだという体験を書き残す事から始めるのだそう。また、自分の本音を書くのだから一言でも問題無いとの事。

他にも、心に残った文章や漫画の1コマをコピーして切り貼りしたり、パンフレットや本の帯を貼ったり、気が向いた時にメモ用紙に感想を書き、それをノートに貼るだけでも良いと言う。

「『読んだから読書ノートをつける』のではなく『読書ノートを作るから読む』」という言葉がすごくいいなと思った。それによりメリハリのある読書が出来るようになるとの事。

内容を覚える為に頑張って書くのではなく、自分のノートを作り上げていくという作業は楽しそうだ。シールやスタンプを買ってきてカラフルにしていくのもいいかもしれない。

私は全然読まないけれど、ファッション雑誌の好きなコーディネートを切り貼りしたり、無料の情報誌(R25など)に載っている気に入った写真やイラストを切り貼りしても楽しいかも。料理レシピとか。

こうなってくると”読書ノート”というよりも、自分だけの本を作成する感じに近い。

日記と違って毎日の作業ではないし、日付の入った手帳と違って空白の日が出来る事も無いので、モチベーションも保てそうだ。ノートが1冊終わる頃には、書評ブログを書けるようになっているかもしれない。

と、考えていたらワクワクしてきた。生活の中に小さなワクワクがあると(それに比べて私は…)なんてマイナスな感情がいつの間にか消えている。私の思考は単純だ。さてさて、私の読書ノートの1番目は何の本にしようかな♪シールとスタンプを買いに行こう!




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久しぶりの服飾品購入で、久しぶりに女性としてうっとり [日々の出来事]

しばらく買い物をしていない。貧乏だからという理由もあるが、人と出掛ける事が殆ど無いので、服飾品を買わなくなってきたという理由もある。1人で出掛ける時も手持ちの物で間に合っている。

そんな私だが数ヶ月前に「財布が欲しいな」と思った。今使っている二つ折りの財布は、使い始めて7年が経ちそろそろ汚れも目立ってきたし、小銭入れが使いにくいので長財布に買い替えたいと思っていた。

と、思って数ヶ月が経った。汚れてはきているものの壊れたわけではないので、どうしようかな…貧乏だしな…お金はなるべく貯金に回したいしな…なんて考えながら日々を過ごしていた。

そんな時に、ぼくら社Blogの「孤独の闇に訪れる、痛い女というシャドウ」という記事を読んだ。その記事の中に痛い女になる事を防ぐ為の習慣が書かれていて、項目の中に「愛とうっとりを生活に散りばめる」というものがあった。

母性や女性性が出てくるようなものを生活に取り込み、女性ホルモンを正常化させよう!という事だ。それを読んで、自分が最近めっきり服飾品に心を踊らせていない事を思い出した。

というわけで、財布を買う事に決めた。

値段的にもデザイン的にも、いいなと思っていたものが2つあるのだ。両方とも同じ「Dakota(ダコタ)」というブランド。一つは小銭入れがガマ口になっている長財布で値段は16,000円くらい。

もう1つも同じ長財布だが、こちらはガマ口ではなくL字ファスナーになっている。値段は10,000円くらい。

小銭入れがガマ口の長財布は本当に使いやすい。ガマ口を買っておけば絶対に間違いないと私は思っている。デザインはガマ口の方が上品で高級感がある。

でも、普段私はデニムにカーディガンと服装がカジュアルなので、財布もL字ファスナーのカジュアルでシンプルなデザインに惹かれた。値段もこちらの方が安いし。

迷う。迷う。

楽天やAmazonで、何度も何度も画像を見比べて迷いに迷った。ダコタの財布は実際に手に取って見た事があり、手触りや質感などは分かっていたので通販で買おうと決めていた。

それにしても迷う。色は茶系と決めている。でもシンプルな見た目を取るか、使いやすさを取るか…。長く使うのであればガマ口の使いやすさは魅力だ。しかし「うっとり感」を味わうには、自分の気に入ったデザインを選びたい。

迷って、迷って、迷って。

そして、購入した。今は時々バッグから取り出しては眺め、使いやすいカードの位置を考えては入れ替え、そして眺め、大好きなASKAさんの曲を聞きながら、新しく私の仲間に加わった服飾品にうっとりしている。

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食肉となる動物との距離感、うさぎが好物だった祖母 [日々の出来事]

食肉加工場での家畜の屠殺方法は安楽死ではないそうだ。電気orスタニングガンで失神させ、放血させる。

一瞬の苦痛があるのかどうかは分からないが、屠殺場に運ばれる間、家畜達はいつもと違う様子に不安を感じる事はあるだろう(”食肉センター 見学”で検索すると詳しいレポート記事が出てくる)。

以前、”ちはるの森”というブログでちはるさんという方が、自分で狩ったうさぎを自分で屠殺し捌き(さばき)、その画像をブログに載せて炎上した。ブログ記事には「この先にはうさぎの辛い画像が出てきます」と前置きをしている。

うさぎはかわいい味がした。うさぎ狩りと解体してきたよ。- ちはるの森(ナイフで屠殺している画像有り)

コメントは肯定する意見が多いものの「鬼畜」「神経が分からない」「お前が死ね」という感情的で稚拙なコメントも多い様子。

この記事を見て、以前に大阪の小学校で命の授業が行われ話題となった事を思い出した。3年間豚を家畜として飼育し、生徒が卒業する時にその豚(Pちゃん)を食肉にするか下級生に世話を引き継いでもらうか話し合い、結果Pちゃんは食肉に加工され、それを生徒達で食べた。

この授業は賛否を呼び、教師は責任を取り退職したそうだ。

7年前に他界した私の祖母は明治44年生まれだった。祖母が生きた時代は自宅でうさぎを飼い、丸々と太らせて正月に食べていたそうだ。そのうさぎの味は絶品で「あなたにも食べさせたい」と小学生の私によく語っていた。

いつの日か祖母が「うさぎの肉を買ってきた」と言って私に串刺しになった焼き鳥のようなものを差し出してきた。それが本当にうさぎの肉なのか、小学生の私でも疑いたくなるほど見た目は普通の焼き鳥だ。

そもそもうさぎの肉をこうして売っている肉屋があるのだろうか?と不審に思いながらも食べてみた。鳥のササミのような淡白な味で、普通に美味しかったが祖母が言うほど絶品ではなかった。

祖母の生きた時代は、当然今とは食糧事情が異なる。田舎暮らしだった祖母にとって、うさぎの肉はご馳走だったのだろう。

それに比べて今の日本なら、私達が自ら屠殺を経験する必要がない。だから、動物を殺して食べるという行為にショックを受けるのは当然ありえる事だと思う。

そのくらい屠殺というのは私達の生活からかけ離れていて、まるでファンタジーのようなものだ。動物を殺す事は私達の代わりに業者が行ってくれる。屠殺がどこでどのように行われているのかも詳しく知っている人の方が少ないだろう。

私達は屠殺を知らなくても生きて行ける。なので自ら学ばなければ知る方法は無いが、知る為には残酷な場面も目にしなければならない。

それを残酷と感じるのは屠殺があまりに非日常だからだ。うさぎの味が忘れられなかった私の祖母なら、きっと残酷とは言わないだろう。

加工されて売っている肉と生きている動物が同じである事は理屈では分かっているつもりでも、普段から自分で捌いていなければ別物のように思えてしまう。

動物の心臓、肝臓、腸、舌は、私達にとってはハツ、レバー、ホルモン、タンなのだ。加工されてしまえば、それがどの部位なのか分からない事さえある。

そんな生活を送っていれば、生き物を自分の手で殺して食べる事を可哀想だと思うのは、正しいか間違っているかは別として至ってシンプルで素直な感情だと思う(もちろん死ねや鬼畜などとコメントするのはもってのほか)

ライオンがシマウマを追いかけている映像を見れば「逃げて!」と思うのは普通の感情だ。でもその裏にはライオンが餓死する可能性も存在している。そこを無視してシマウマばかりに感情移入してはいけない。

自ら屠殺を経験する必要はなくとも、行為や方法については自分の感情とは別にして、知っておくべき事だ。学ぶには文字や絵だけではピンとこない。ちはるさんのブログは「生き物を殺して食べている」という事の意味を考える良いきっかけになると思う。




タグ:屠殺
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店員さんになんて言うか迷いながら出た言葉は見栄だった [日々の出来事]

今年の正月明け、買い物をした時にレジの可愛らしいお姉さんが「銭洗弁天で洗った5円玉をお配りしています」と言ってきた。

(あらまぁそれは嬉しい)と思っていたら、お姉さんが「もし、よろしかったらご家族の分も差し上げますよ」と言い、可愛らしい笑顔のまま首を少し傾け(さぁ何枚必要ですか?)と、澄んだ瞳で問いかけてきた。

その視線を受け、一瞬。本当に一瞬。ほんの一瞬の間に、私はものすごく沢山の事を考えた。

私が必要な枚数は1枚だ。だって家族はいないし、一人暮らしだし。いや、地元に両親と滅多に会わない姉がいるけれど両親と次に会うのは3月だし、その頃には銭洗弁天の5円の事なんて忘れてしまいそうだし。

あ、でも家族じゃなくても身近な人の分なら貰ってもいいんだろうな。でも、数少ない友達とは次いつ会うか分からないし。会うの年に数回だし。やっぱりその頃には銭洗弁天の5円の事なんて忘れちゃってるだろうし。

ていうか。こういう時って普通、友達の分じゃなくて恋人の分を貰うよね。でも私恋人いないじゃん。

ていうか、笑顔で(ご家族の分、何枚必要ですか?)って顔してるお姉さんに、「あ、1枚で…」って言ったら、お姉さん焦って「すいませんっ!失礼しました!」とか言ってきたりしないだろうか。

それだけは勘弁してもらいたい。そんな事になったら逆に申し訳ないし、逃げ出したい。

口には出さなかったとしても「やべっ、見た感じ30代半ばって感じだから絶対家族いると思った。やっちゃった。まさかその年齢で独身で彼氏もいないと思わなかったわー。悪いこと言っちゃったな…ごみーん」なんて思われないだろうか。

それはそれで。私…泣いてしまうかもしれない。

あぁどうしよう。買い物に来てるのは私1人なんだから、お客様1人に対して1枚配っとけばいいんじゃないのかなぁ。そういうルール決めてないのかなぁ?わざわざ家族の分まで渡す必要ないんじゃないのかなぁ!

あ、でもお姉さん優しそうな人だから心配りしてくれてるのかも。お客様をとても大切に思っているのかも。仕事熱心な人なのかも。そうか、そうか。でも「1枚で」って言うの、やっぱりちょっと恥ずかしいな~。

で、結局。

「あ、じゃあ…    2枚で」

と言ってしまった。消えてしまいそうなほど小さな声で見栄を張ってしまった。

2枚というのは私の中の設定で夫or恋人の分、もしくは自分がシングルマザーという設定で子どもの分だ。あ、シングルマザーだったら子ども連れて買い物してるか。じゃあやっぱり夫か恋人の分だ。

虚しいウソをついてしまった。

私は時々思う。今後ずっと未婚だった場合、どこかで誰かに「ご結婚は?」と聞かれたら「私、バツイチなんです」と答えてしまう日が来るかもしれない…と。

その日に一歩近づいたような気がした。2枚の5円玉は、今も仲良く私の財布の中にいる。




タグ:銭洗弁天
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禁煙を成功させる為に私が無理せず行った2つの行動は [日々の出来事]

それは「禁煙しない」という方法だ。タバコをやめてそろそろ6年になる。喫煙時代は吸える職場だった事もあり1日2箱吸っていた。銘柄はマルボロライトのメンソール(ニコチン8㎎タール0.6㎎)

食べ物にあまり関心が無かった私にとって食事は”お腹を満たし美味しいタバコを吸う為の行為”だった。さらにコーヒーも好きなので、食後のタバコ&コーヒーは最高に美味しかった。

そんな私が禁煙したのは30歳の時。20代の頃から歯磨き以外の時でも嗚咽するようになり、タバコを吸うと喉の奥がキュッと締めつけられる感覚があった。外で女が嗚咽してたらヤバイし、喉も辛かったので吸うのをやめてみる事にした。

禁煙するにあたり、とった2つの行動。

1つ目は、未開封のタバコ・ライター・携帯灰皿を常に持ち歩く事。外食の時も喫煙席に座り、手元にタバコを置いておく。いつでも吸える状態にしていたし、いつ吸っても構わないと思っていたし、いつでも吸う気満々だった。

でも。

「いつでも吸えるのだから、今吸う必要は無い。家に帰ったら吸おう」とタバコを少し後回しにした。

で、自宅に戻ったら。

「いつでも吸えるのだから、今吸う必要は無い。シャワーを浴びてから吸おう」考える。もちろん自宅のテーブルの上には灰皿が用意してあるし、横にタバコとライターも置いておく。

寝る前には「タバコは明日の朝の楽しみにしておこう」と考え、そのまま寝る。

朝になったら「会社に着いたら仕事前に一服しよう」と考えながら家を出る。吸いたいタバコを我慢をしたのではなく、ただ後回しにしただけだ。

ここで大切なのはタバコが未開封である事。開封する事を躊躇したら、それはもう吸わなくてもいられる体になっているという事だ。

私は禁煙に成功したというよりも、6年間タバコを後回しにしている状態と言えるかもしれない。

もう1つは、周囲に「禁煙している」と決して言わない事。家族にも言わない。

例えば食事や飲みの席で、横に未開封タバコを置いておきながら吸わずにいると周りが「吸わないの?やめてるの?」と必ず聞いてくる。その時は「喉の調子が悪いから控えている」と言い、治ったらまた吸う事をアピールしておく。なんなら「自宅では吸っちゃうんだけどね」くらいの事も言っておく。家族にも逆パターンで同じ事を言う。

挫折しない為に、禁煙している事を周りにアピールしておく人もいるけれど、それをすると周りがわざとタバコを渡してきたり、「禁煙続いてる?」とタバコに関する話題を出してくるから余計に禁煙が辛くなってくる。

タバコ・ライター・灰皿を捨て、周囲に禁煙宣言をし、自分に厳しく根性でやめようとすると気持ちに余裕が無くなり爆発する。

「自分は禁煙中だ」という意識ではなく、「これが終わったら後で吸おーっと」というつもりで毎日を過ごす事が大切。いつの間にか「タバコって臭い!!」と感じるようになるよ。




タグ:禁煙
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ある日突然ストレスで顔面神経麻痺になってしまった体験談 [日々の出来事]

今から10年程前、25歳の時に"右顔面神経麻痺"になった。顔の筋肉を動かす神経が麻痺してしまい、目・鼻・口などが動かなくなる病気だ。私は右側に症状が出た。

その日私は、いつも通り朝起きて顔を洗った。そして歯磨きをし、口をゆすいだ時に小さな違和感を感じた。口の端から少量の水がこぼれたのだ。「ん?」とは思ったが、その時は特に気には止めなかった。

いつも通り仕事に行き数時間が経った頃、目に違和感を感じ始めた。目の違和感は口とは違い明らかにおかしいと思った。瞬きをしても目が完全に閉じていないような感じがしたのだ。

自分の顔に何か異変が起きている事を察知し、すぐに症状をネットで調べた。画面に出てきたのは"顔面麻痺"という言葉。顔面麻痺は耳鼻咽喉科を受診すると書かれていた。

というわけで、翌日仕事を休み総合病院へ。耳鼻咽喉科を受診し、そのまま脳のCT検査と血液検査を行った。医師が言うには顔面神経麻痺の原因はウイルス性が3割、ストレスなど原因不明が7割なのだそう。私の検査結果は原因不明のものだった。

確かに当時の私は仕事の人間関係でストレスを感じていたから、それが原因かもしれない。

顔面神経麻痺は症状が出たら1日でも早く受診した方が良いとの事。ネットで調べて総合病院の耳鼻咽喉科を受診したのは正解だった。

そして医師から今後の治療の説明がされた。まず今日から2週間毎日点滴を打つ。しかし点滴を打ったらすぐに治るというものではなく、症状の進行は止められないと言われた。1週間後くらいに症状はピークになり、その後徐々に治っていくのだそう。

ただ…

顔面神経麻痺は「薬を使えば必ず治る」という病気ではないそうなのだ。早ければ1ヶ月くらいで良くなるが、半年たっても治らない人もいる…との事。怖すぎる。

医師の言うとおり麻痺の症状は悪くなっていった。まず目が閉じられないので常に涙が出る。寝る時も完全に目が閉じないので眼帯をした。そして口からはご飯がボロボロと溢れる。

唇を突き出すと(チューみたいな顔)口が左に引っ張られる。ストローでジュースを飲む時にも左に引っ張られる。リアル"ひょっとこ"だ。笑った顔も気持ち悪かった。左は笑っているのに右は動かないから。人に表情を見られるのが嫌で、常にマスクをして過ごした。

ネットで調べるとマッサージが良いと書かれていた。次の日医師に「マッサージは効果がありますか?」と聞くと「あまり効果は期待出来ないと思うが、やっても構わないよ」と言われた。

1週間後に症状はピークを迎え、その後は徐々に徐々に動くようになり医師の言うとおり1ヶ月程で治った。

私の症状は軽い方で、治らない人は入院したり民間の鍼治療を行ったり、数ヶ月~数年経っても治らない場合もあるようだ。いつ治るか分からないというのはかなり辛い。

タレントの松居一代さんは息子さんのアトピー性皮膚炎で悩み、ストレスから顔面神経麻痺を経験している。どんなに体が健康でもストレスを甘く見てはいけない。ストレスから発症する病気というと"うつ病"が代表的だが、こういう病気もあるという事を知った出来事だった。








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