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なんだかんだ言っても本当はそんな自分が好きだったり [考え事、感じた事]

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幸せを引き寄せる法則や、自信をつける方法、落ち込んだ時の気持ちの切り替え法や、自分の思考のクセを知る方法、考え過ぎをストップする方法など、そんなタイトルの記事を見つけたら、以前の私ならすぐに飛びつき保存していたけれど、最近はそれらのタイトルが気にならなくなってきた。

それは私が悩まなくなったからなのか?と考えればそうでもなく、相変わらずウジウジと自分について考えては落ち込み、考えては前向きになり…を繰り返している。

そんな私の思考癖はもう変わらないし、変えようと足掻けば足掻くほど変われない自分が嫌になる。そしてすでに30代半ば。もうこのまま残りの人生をトボトボ歩もうと諦めたという事もあるのだけれど、それ以外にも自分について思う事がある。

***

私の同僚女性は、悪く言えば何も考えておらず、よく言えばとても楽天的。外向的でよく喋り、職場でのストレスというものは全く感じていない様子だ(本音は分からないが、私からはそう見える)。

私と彼女は正反対の性格で「彼女のように生きられたら楽だろうな」と何度も思ったけれど、じゃあ今ここに神様が現れて「あなたを彼女のように楽観的な性格に変えてあげましょうか?」と言われたら…。

多分私は「お願いします!」と即答はしない。躊躇する。いや「やはり私は内向的で内省的で時々ネガティブな、今の私のままでいいです」と丁寧にお断りすると思う。

今の私はなんだかんだ言って、本当はこんな自分を気に入っているのではないか?と思う。悩んではハァと溜息をつき、隣の同僚を見ては「悩みがなさそうでいいわね…」と含み笑いをする。繊細な自分に酔って悦に入っているのではないか?

ネガティブな気持になるのは本当にしんどい。反面「そんな繊細な私もなかなか素敵」と客観的に冷静に見ている自分も存在している気がする。そして、無意識の中でそんな自分を変えないようにしているのではないか?と最近考えている。

もしそうだとしたら、私はこんな自分を変えずに大切にしてあげたいと思う。無意識の中で「変わりたくない」と思っているのに、無理に変えてしまうのは”私”が可哀相だ。

***

「自分を好きになる方法は?」という質問に、片桐はいりさんが言った

親のような気持ちで自分を見るといいんじゃないですかね

という答えが好きだ。

“私”を子供のように大切に想ってあげる。”私”が傷ついたとしても「頑張れ!」とは言わずそっと見守り、他人から呆れられてしまうような駄目な部分があったとしても、自分だけは”私”の味方でいてあげたい。

あるブログ主さんはこう言っていた。

考えすぎるネガティブ人間として、これからも堂々と生きていこう

ネガティブだけど自分をポジティブに受け止めていて、良い言葉だなと思った。私の中でも大切にしたい言葉だ。

私は今後、自己啓発本や記事は多分読まない。それらを読んで自分を無理に変えようとするのは、”私”を否定する事になり可哀相だと思うから。

でも、もしかしたらちょっとは見たくなる事もあるかもしれない。その時は「へぇこんな考え方もあるんだ~」と、ほんの少し参考にするだけだ。基本的に私は私のままで行く。






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