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心の奥のネガティブ感情や本音をさらけ出す事はあるのか [性格の事]

世間の方々は、自分の全てをさらけ出せる相手がいるのだろうか?心の奥にあるネガティブな本音を話せる相手がいるのだろうか?友達とか同僚とか、夫とか恋人とか家族とか。誰かに聞いてもらったり、相談したりする事があるのだろうか?

そもそも人に話す事を躊躇するような、心の奥のネガティブな感情なんて無いものなのだろうか?いや、ある人もいるだろうけど、普通は無いものなのだろうか?そんなものは人それぞれ、と言えばそれまでだが。

例えば。

子供の頃に受けた心の傷があるとか。恋人が出来た事が無いとか。イタイ過去とか。ヤバイ過去とか。何かのトラウマとか。人を傷つけてしまった思い出とか。人に嫌われた経験があるとか。子どもが大嫌いだとか。人を好きになれないとか。友達が出来ないとか。本当は友達がゼロだとか。本当は結婚したくて仕方ないとか。仕事が出来ないとか。ものすごく後悔している事があるとか。

自分の全て、もしくは心の奥の本音を知っている相手なんて普通は存在しないものなのか。夫婦だって心の奥に隠しているものはあるだろうと私は思っているけれど、全てをさらけ出している人もいるのかな?そういう相手がいないのは私だけなのか?それともこれが普通なのか。

私は最近、母に「人が苦手で友達も少なくて…」なんて自分の本音をサラッと話した事があった。別に、この歳になっていまさら言う必要も無い事だけれど、なんとなく本音で話したくなった。自分を肯定してもらいたい気分だった。

でも、私のそういう面を知らなかった母は「そんなんじゃ変な人だ思われるよ!」と言ってきたので「別に変な人だと思われてもいい」と答えると「あんたねぇ…」と呆れられた。母は性格が結構キツイくて頑固だから(私もだけど)。それ以来、もうその話はやめた。

「話さなければよかった」とは思っていない。けれど、やっぱり無理か…と残念に思った。ちゃんと話せば理解してもらえるだろうけど、別にそこまでの熱意も無い。母にそれを知ってもらったからと言って何がどうなるわけでもない。

ただ「味方してくれたら嬉しいな」くらいの軽い気持ちになっただけ。親子だって、この歳になればお互い人格のある人間対人間なのだから、意見に同意や共感してもらえない事なんていくらでもある。親なのだから味方してくれるだろうと勝手に期待した私が間違っている。

私は、自分の心の奥底にあるネガティブな本音や感情を聞いてもらいたい、知ってもらいたい、味方してもらいたいと思う事が時々ある。でもそれは難しい。

一度だけ友達に話した事があるけれど、すぐにやめた。話が重いし。相手もそれを聞かされた後、返事に困るだろうし。やっぱり友達は軽く楽しく過ごした方がいい。友達イコール「なんでも話していい関係」ではないのだ。

じゃあ夫婦は?夫婦ってお互い心の奥の事も話したりするんだろうか。全てをさらけ出すのだろうか?そんな事はないか。まぁ、夫婦それぞれか。なんでも人それぞれだ。

それに、自分をさらけ出しているかどうかなんて誰にも分からない。私は彼の全てを知っている!と言う人もいるだろうが、そんなものは彼本人にしか分からない。本人にしか分からないのだから「みんなは本音を語れる相手がいるのかな?」なんて考えても無駄な事だ。

心の奥にある本音、本当の自分を吐き出したい時、世間の方々はどうしているのだろう?自分を肯定してもらいたいという気持ちが湧き上がる事は無いのだろうか?そんなもの普通は無いのだろうか?ある人はどうしているんだろうか?そんなものは人それぞれなんだろうけど、多くの人はどうなんだ?

心にある本音を吐き出したいという衝動を、私はこうしてブログに頼っているわけなんだけれど…。




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人の好き嫌いは無い方が、人間関係は楽になるとは思うけど [性格の事]

私は人の好き嫌いがハッキリしている。相手を「無理!」と思ったら一瞬で心のシャッターを閉じてしまうし、目も合わせられなくなり、必要以上には話しかけなくなる。そして好きな人に対してはどんどん話しかける。ワガママで子供みたいな性格というやつだ。

そんな分かりやすい性格なので、職場のような集団に属する事は不向き。平等な態度が取れない。とは言っても生きる為には働かなければいけないので、嫌いな人に対してなるべく露骨な態度は取らず、なるべく目も見て話すようにはしている。

けれど、嫌いという気持ちを好きに変えようという努力はしない。合わないものは合わないのだ。

人に対して好き嫌いが無く、誰とでも上手くやっていける人というのは、人間関係に悩まずに済むので楽だ。会社に勤めるのなら、そういう性格の方が都合がいい。それになんだか「人を嫌いにならない」というのは優しい人に見えるので得でもあるかもしれない。

人間関係に悩み「嫌いな人を好きになりたい」「嫌いな人を無くしたい」と思っている人は多くいるし、そういったタイトルの本も色々ある。そのくらい「嫌い」という負の感情はストレスになる。

そんな「好き・嫌い」という感情は、方向は違えど「心を動かされた」という意味では同類。嫌いな有名人がテレビに出ていたりtwitterで呟いたりしていると、ついつい見ては文句を言う…というのもその人に関心があるという事だ。

好き・嫌いという感情の反対は”無関心”。なので「人に対して好き嫌いが無い」という理由で周りと上手くやっていける人は、そもそも関心が無いから誰にも心が動かないんだろうなぁと思う。

人に関心が無く心が動かなければストレスフリーで過ごせるから、それはそれで良いとも思うのだけれど、逆を返せば「好き」という感情も乏しくなるという事。好きも嫌いも「心が動く」という意味では仲間なのだから、共存するのが当たり前。

だから私は”無関心”によるストレスフリーよりも、”好き嫌いが激しくても心が動く人”でいたいと思っているし、そういう人の方が好きだ。

若い頃、気の強い女友達が「悪口を言わない人とは友達になれない」と言った事がある。「なんつー、発言だよ^^;」と思ったのだけれど、それって私が”悪口を言う人間”と認定されたという事(汗)

彼女の言いたかった事は「好き・嫌いの感情を持っている人とじゃなきゃ、楽しい友達付き合いが出来ない」という意味だったのだろうと、勝手に自分の都合よく解釈している。まぁ確かにちょっとだけ同僚の悪口は言ったけど。そう、あれは若気の至りだ(汗)

悪口はもう大人なのでやめておくとして、それでも”好き”という感情も”嫌い”という感情も「心を動かす大事な要素」として大切にしようと思う。先日「悲しくなるのも素敵な要素」や「嫌いになるのも自然なこと」というコメントを貰って、ふとそんな事を考えた。

友達が少ない私はそもそも好き・嫌いになる人の数も少ない。なので、好きになる相手は直接の知人ではない場合(有名人など)が多いのだけれど、それでも”好き”に心を動かされたい。




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友人や恋人との別れなど過去の経験が今に影響している事 [性格の事]

最近、数少ない友達と徐々に会う回数が減ってきたなと感じている。この感じを味わうのは初めてではない。何度か経験しているから雰囲気で分かる。徐々に疎遠になっていくこの感じ。この雰囲気。

ここから盛り返す(会う回数が増える)事はもう無い。いや、盛り返す可能性はゼロではないかもしれない。何かのきっかけでまた会う回数が増える事はあるかもしれない。が、きっと無い。そう過去の経験から感じている。

友達と疎遠になる予感を感じて焦り、必死に引き止めよう頑張ってみるも、余計に虚しくなった経験が若い頃にある。なので、大人になった私はもうそんな行動はとらない。来るもの拒まず去る者追わず。それでいい。

何年も仲良くしてきた友達でも徐々に疎遠になってしまうのは私のマメさが足りないからか、環境の変化からか、嫌になる事があったからか、ただそういうものなのか…理由は色々あるだろうけど、探ってもどうにもならない。こういう時は流れに任せた方がいい。

心に穴が空くような寂しさを感じる事もあるけれど、泣く程ではないし。

こうして感情をコントロール出来るようになった自分は成長したと思う。昔の私なら落ち込んで落ち込んで、泣いて泣いて、「私の性格が悪いから友達が減るんだ!」と自分を責めていただろう。

それに比べて今はこんなに冷静。これも経験から得たものだ。

過去の経験というのは役に立つ。先が想定出来ていれば、自分がどういう行動をとるべきか判断できる。パニックにならず冷静でいられる。これが”大人”なんだと私は思っている。

だけれど、この”過去の経験”が邪魔になる事もある。

私の場合、恋愛に一歩踏み出せなくなっている事。よくある話だけれど…私は恋人と別れ話になる事が怖い。別れ話を切り出される不安を払拭できずにいる。あの時の感情をはっきり思い出せるし、「もう二度と味わいたくはない」という気持ちが強い。

私は孤独に強いという事もあり、「また別れを経験するくらいならこのまま1人でのんびり暮らしてもいい」と思っている。だから恋人が欲しいとは思いつつも、なかなか前に進めない。

「そんな風ではいけないよ、もっと勇気を持たないと」「傷つく事を恐れないで」そんな言葉はどこにでも転がっているし、自分でも嫌というほど分かってはいるものの過去の経験に強く縛られてしまい身動きがとれない。

傷が癒やされるのを待っていたら、あっという間に40代だ。もちろん40代でも恋愛は可能だが、なるべく早い方が相手は見つかりやすいと思う(こんな事を前にも書いたなぁ…というか、いつもこんな事を考えている)。

だけど、あの別れの感情を思い出すと眉間に皺が寄り、目をギュッと閉じたくなる。このマイナス感情はいつか消えるのか?(よく思うのだけれど、結婚している人はパートナーから別れを切り出されるかもしれないという不安を感じたりしないのだろうか…?)




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「幸せになる為の10の習慣」などで救われた事は無い [性格の事]

以前は「幸せな人が行っている20の事」とか「ポジティブになれる10の法則」とか「愛される女になる30の習慣」なんて本をよく読んでいた。ネットでもそういう類のまとめ記事は人気で、以前の私もそれらをよくブックマークしていた。

でも私はそういった記事や本を読んでも幸せを感じる事は無かったし、心は常に暗かったように思う。いや、全く効果がなかったわけでもない。

それら読んだ瞬間は納得し、気持ちが多少は晴れた気がして「明日から頑張ろう」と前向きになれた。でもそんな気持ちは続かない。次の日には書いてある内容をすっかり忘れている。文章も言葉も私の心に留まる事は無かった。

しかも、その後は買った本もブックマークした記事も読み返す事はほとんど無い。同じような言葉で形成された本や記事のコレクションがどんどん増えていくだけ。それらを集めては前向きになれた気がする…そんな行為が趣味だっただけかもしれない。

今では、そういった自己啓発本や記事は読まなくなった。何故なら、最近は気持ちが落ち込んだ時などに読む本が決まっているから。私が好んで読んでいるのは精神科医の香山リカさん、哲学者の中島義道さん、生物学者の池田清彦さん、爆笑問題の太田光さんの本だ。

この4人を”人生の師”というのは大袈裟かもしれないけれど、私が自分を肯定できるようになるきっかけを与えてもらった、私が最も頼りにしている方々だ。もちろん会った事はないけれど、この人達の(本の)前でなら自分をさらけ出せる。

正直言えば、私はこれらの方々の本を全て読んだわけではないし、本の中身全てに共感したわけではない。しかも私には難しいなと感じる部分があったりして理解出来ていない部分もある。

爆笑問題の太田さんに至っては芸人としても昔から好きでラジオも聞いているのだけれど、時々相方の田中さんに対してあまりにダメ出しをするので、彼特有のしつこさにうんざりする事もある。

私は彼らの信者ではない。ただ、彼らの言葉に共感だったり、尊敬や憧れを抱く部分が多いから頼りにしている。

気持ちが落ち込み、自分を否定しそうになると彼らの本を読みたくなる。そして「あ、ここ理解者がいた」と安心する。私が今まで否定してきた自分を彼らが肯定してくれるのだ。

なので私の考え方は彼らに影響されている部分がある。自分の考えと、それを肯定してくれた彼らの考えが重なりあって今の私が成り立っている(なんて少し大袈裟かな)。4人は私にとって、とても大切な存在だ。

誰が書いているのかもよく分からない「幸せになる方法」という類の本や、寄せ集めのまとめ記事を読んでもコレクションの数が増えるだけ。良い言葉を見つけるよりも、自分の生き方や考え方にヒントをくれる”人物”を見つける事が出来れば、明日からの自分が変わるかもしれない

なんて、どこかにいる私のような誰かにアドバイスしてみちゃったりする。




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食生活に問題のある私は依存症なのか?性格なのか? [性格の事]

休日に食べ過ぎて胃薬を飲む事がある。すでに満腹なのに「何かを口にしたい」という欲求が止まらなくなる事が時々あるのだ。さすがに吐き気がしてくると食べるのは止めるのだけれど「また食べたいから、早く消化されないかな…」と思う。

ちなみに私は吐く事が出来ないので吐き気を我慢するのは辛いのだが、もし吐く事が出来たら摂食障害になっていたのではないか…と思う。

これはお酒が好きな人が飲み過ぎて二日酔いになるのと似ているのだろうか?私はお酒が飲めないので食べ物に走っているのだろうと思う。でも、私の中での”二日酔い”のイメージは、休日前夜の飲み会などで羽目を外して翌日に二日酔いになってしまう…というもの。

1人で家呑みをしていて飲み過ぎて二日酔いになる人っているのだろうか?いるだろうけど、それって何かに対して”自暴自棄”になっている人のイメージがある。私の勝手なイメージだ。

そこまで行くとアルコール依存症なのでは?と思うが、どうなんだろう?平日に全く飲まなければ依存症とは言えないのだろうか?それがアルコール依存症なのだとしたら、私も同じ構造の依存症だと思う。

私は休日に自宅から40~50分程歩いて駅の近くの喫茶店に行き、そこでコーヒーを飲みながらスマホを見たり本を読んだりする事が多いのだけれど、そこでも必ずケーキを食べる。2つ食べる事もある。そして自宅に戻っても食事をするし、その後もチョコレートやらプリンやら、ポテチやらをまた食べる。

休日はこんな食生活になってしまうので、平日は炭水化物を少なめにし、おかずは豆腐やキノコ類など低カロリーのものにしている。運動は毎日1万~1万5千歩、歩く。本当は平日も常にお菓子類を食べたいという欲求があるものの、我慢しているので体重の変化はないし、BMIは21なので太ってもいない。

休日に好きなだけ食べる為に平日に我慢をして、極端な食生活になってしまっている。今は歩く事に専念しているが、一時期は週に4回ほどジョギングをしていた。その時は1日1時間(距離にして8km~10km)走っていた。走るのをやめれば太る。それが怖くて走っていた。

とりあえず今のところ体重が増えていくわけではないので、「まぁいいかな」とも思うのだけれど…いや、よくないだろう。

私が問題だと思うのは、それが休日の楽しみになってしまっている事。「いいのか?これで」と自問するものの、やめられない。食べる事をやめるのは「私から楽しみを奪うことだ!」と思うのは、煙草を吸っていた時の気持ちと同じだ。

それともう一つ。私は何に対しても”ほどほど”が出来ない。なんでも極端になってしまう事が多い。ジョギングも、子供の頃から運動嫌いだったにも関わらず、最終的には20km走るようになっていた。5kmを定期的に走っていた方が長く続けられただろう。

私の食生活は”依存症”なのか”性格の問題”なのか分からないが、健康の事を考えると量を減らした方がいいと思う。砂糖の過剰摂取はうつ病にも繋がると言うし。

隣で「駄目だよ」と止めてくれる人がいたら、普通の食生活に戻れそうな気がする。が、独り身の私は今日も食欲が止まらず、胃薬に頼っている。どうしたものか…。




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いい人に見えたかもしれないけど私はそうじゃないんだ [性格の事]

私は36年の人生の中で、覚えている限りでは2回「いい人だね」と言われた事がある。でも私はいい人じゃない。

隣の芝生が青く見えてひがむ事もあるし、友達が結婚した事に嫉妬して(離婚しないかな…)と心の奥底で思った事もある。大した人間でもないくせに毒舌も吐くし、偉そうに他人に上から目線になってしまう事もある。

酒井法子が逃げてた時はワクワクしたし、矢口真里が不倫した時はニヤニヤしたし、西川史子が離婚した時は「ほらね!ほらね!やっぱりね~あの人は絶対に離婚すると思った!」と馬鹿みたいに勝ち誇った。

私に「いい人」と言ってくれた人は私のほんの一部分だけを見て判断しただけだ。

動物好きに悪い人はいないと言うけれど、そんなわけがない。犬を可愛がる脱税者はいるだろうし、猫が大好きな詐欺師もいるし、ハムスターを愛する窃盗犯もいるだろう。

職場では仕事をサボってばかりいて同僚から疎まれていても、家庭に戻ると子煩悩&愛妻家として近所では評判という男性もいるだろう。

仕事が出来てコミュニケーション能力も抜群で誰からも好かれている人が、自宅ではネットで誹謗中傷ばかりしているかもしれない。男性の前では天真爛漫で天使のような女性でも、女性同士の場では半端じゃない毒舌っぷり…なんて事はよく聞く話。

人間には多面性があって、右から見た場合と左から見た場合、前から見た場合と後ろから見た場合、斜め右から見た場合と、斜め左から見た場合、色々な角度で見え方が違う。右から見た人は「いい人」と判断しても、左から見た人は「嫌な人」と判断する事もある。

誰から見ても「いい」や「優しい」と思える部分が多くある人は、周りに人がたくさん集まり、みんなから「いい人だね」と言ってもらえるだろう。

だけど、それに憧れ「いい人と思われたい」からと言って相手の喜ぶ事ばかりを押し付けていると「余計なお世話」と言われるか、もしくは”都合のいい人”になる可能性がある。

私は「いい人だね」と言われて、ちょっとだけ嬉しかった。気持ち全体の2割くらい。そして残り8割は「この人は私の事を誤解しているな」と思い、「これから私の事を知っていけば『いい人』は撤回したくなるかもしれない」と感じた。

いや、私に対して「いい人だね」と言った人はそこまで深くは考えてはいなかっただろう。軽くそう思ったから軽く言っただけだ。でもそれが職場など近い関係の人だったとしたら、私は”いい人”のプレッシャーで本音を口に出来なくなっていたかもしれない。

ブログだって、1度でもいい人と思われてしまったら、その後本音は書きづらい。

だから私はあまり「いい人」だと思われたくはない。素の自分でいたい。素の自分だからといって嫌な人間になろうというわけじゃないけれど、社交辞令や愛想笑いは最小限にしている。

まぁ今となっては「いい人」と言われる機会はほぼ無いが。




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「前回の飲み会に参加しなかった人」が集められる飲み会 [性格の事]

私は飲み会が嫌い。体がアルコールを受け付けないし、飲みの場の雰囲気も好きじゃないし、気を抜くと能面顔になるから微笑みをキープしなければいけないし。私にとって”疲れる”以外の何物でもない時間だ。

私の職場の飲み会は、知らない人と一緒になる事が多い。強制参加ではないのだけれど、一応それなりの理由を伝えなければいけない雰囲気がある。

私はどうにか理由をつけて断っている。去年の忘年会も参加しなかった。その忘年会の規模は15人くらいで、私も含め5人不参加がいたらしくてホッとしていた。

その忘年会はAさんという50代の男性が仕切っている。Aさんは温厚そうで話しやすく、えびす様(漫画家の方ではなく神の方)のような人なのだけれど、何気に私はAさんに苦手意識を感じている。

それは以前Aさんが、退職した女性について「あの人はプライベートな話をしない人でね。昼食も一人でとって、休憩時間をみんなで過ごそうとはしない人だった」と私に話してきた事があって。私はそれを聞いて硬直した。なぜなら私も、その女性と同じ行動をとっているからだ。

プライベートな話というのはどの程度の事を言うのか分からないけれど、聞かれない限り自分からは話さない。聞かれても答えたくなければ誤魔化すと思う。

昼休憩は社内の食堂に行く人が多い。しかし1人で休憩したい&節約している私は、弁当持参で別のスペースに行っている。そこには滅多に人が来ないし、大きな窓から外も見えて快適だ。私がいつも1人で過ごす事は皆知っているので何も言われないが、”謎の人”いう目で見られていると思う。

Aさんが、退職した女性の事を私に話してきたのは、特に意味の無い雑談だったのかもしれない。ただ、人の言葉の裏を探ろうとする私は「私への忠告かな…」と感じた。別に問題は起こしていない。仕事上ではコミュニケーションもとっている。だから堂々としていればいいのだけれど、何気に”気にしい”の私はソワソワした。

そんなAさんが先日「年末の忘年会に来られなかった人が何人かいるから、その人達だけで飲み会やろうね」と言ってきた。ナヌ!…世の中にはそんな理由の飲み会も存在するのか…。(行きたくないっ!)体を熱くしながら心の中で叫ぶものの、口に出せるはずもなく。

Aさんが「とりあえず曜日は金曜にしようと思ってるんだ」と言うので、私は「週末は人と会う事が多いので(嘘)、もしかしたら参加出来ないかもしれないです。すみません」とモジモジしながら伝えてみた。

そしたらAさん「じゃあ他の曜日にしよう」とあっさり。さらに「ダメな曜日ある?」と聞いてくる。(ノД`)「あ、いや、今のところダメな曜日とかそういうのは無いですけど…ゴニョゴニョ。あ、あと、それにあの私、お酒がダメなんで…ゴニョ」と私。そしたらAさん「あ!それはね、心配しなくて大丈夫。そういう人の為に食べ物も楽しめるビュッフェにしたから!」と。

だめだ…もう逃げられない。いや!私は隙さえあればいつでも逃げ出そうと思っている。そのチャンスを虎視眈々と狙っているのだ。

それにしても本当に私は「嫌」というものに対しての柔軟性が無い。




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内向的な人と外向的な人の違いをまとめるとこんな感じ [性格の事]

外向的思考の人は意識が外に向いているので、周囲の人間や物事に興味・関心を持つ【客観的な考えに重きを置く】

内向的思考の人は意識が自分の内に向いているので、自分の考えや思いに興味・関心を持つ【主観的な考えに重きを置く】

ちなみに私は完全な内向型人間。

外向型人間は、考えや興味や行動が多くの人に共感されやすく、受け入れられやすい。流行りや周囲の動きに敏感で、多くの人が好むファッションを知っているし、多くの人が好むグルメを知っているし、多くの人が好む話題を知っている。

その為、周りに人が集まりやすく本人も人間と接する事が好き。みんなでパーッと盛り上がるのが好き。カラオケやバーベキューが好き。ストレス発散法はみんなでワイワイ騒いで楽しむ事。

内向型人間は主観的な考え方をするので、一部の人からは強く共感されるものの、多くの人には受けいれられにくい。自分が好きなものには熱中するので、その分野においては群を抜いた知識を持つが、世間の好みや流行りには疎い。

人が多く集まる場所が苦手。みんなが楽しんでいる飲み会もカラオケのノリも苦手。ストレス発散法は一人の時間を過ごす事。

外向型人間は多くの人と気が合い、友達も出来やすい。興味の無い雑談でも楽しく振舞う事ができる(もしくは何にでも興味を見い出す事が出来る)ので、社交性を発揮し、人から好かれ会社員として世間を上手く渡る事が出来る。

内向型人間は、自分の内にある思いや興味・関心に没頭する事を好み、人との交流よりも個人の時間を楽しむ。興味の無い事には一切関心を示さない為、雑談が苦痛。世間一般では"変わり者"という立場に置かれるので自分に自信を無くす。それ故、さらに人との交流が難しくなり、他人に気を使い過ぎて人見知り・内気になる。

私は個人的に世間で生きていく上で内向的は損だと思っている。但し、世間一般とは違う人生(表現をする職業など)を歩むのであれば、主観を大切にする内向的な性格は、一般人が持たない独特な思考で才能を発揮する可能性が高い(が、失敗する可能性も高い)。

外向型人間は、多くの人が歩む普遍的な人生において才能を発揮する。人に恵まれるので結婚式などでは多くの友人から祝福される。常に友人に囲まれ笑顔で過ごし、困った時には助け合い、幸せな人生を手に入れる力を持っている。

人は皆、両方の性質を持ち合わせて性格が形成されているので、完全な内向型人間も完璧な外向型人間もいない。

一番辛いのは、性格が内向的な方向にかなり偏っている為に社会に上手く馴染めず、かと言って何かの才能を発揮するわけでもなく、外向的な人と同じ道を進まなければいけない場合。私だ。




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愛用している商品を店舗に買いに行く事が億劫になる [性格の事]

今日、歯医者のついでにLUSHに寄った。LUSHは石鹸や入浴剤などを取り扱っているお店だ。私はその店のパワーマスクという洗顔スクラブ(全身可)を愛用している。

シャンプーやボディーソープなどはドラッグストアのもので間に合っているので、パワーマスク以外の商品には興味が無い。

店内に入るとパワーマスクに向かってずんずん進む。なるべく早歩き気味で。というのも、どの店舗でもそうなのだけれどLUSHの店員さんはとても積極的。高めのテンションでグイグイ話しかけてくる。

以前にも書いた事があるのだけれど、私は話しかけてくる店員さんがめちゃくちゃ苦手だ。美容室もタクシーもあまり利用したくない。なので、買い物は出来るだけ通販で済ませたいと思う。

しかし、LUSHの商品は保存料が入っていないものが多く使用期限が限られていて、通販で買い溜めという事が出来ない。そんなわけで、無くなったら毎回買いに行っている。

今日の私はマスクをして耳にイヤホンをしていた。なので店員さんに話しかけられる事はないだろうと安心していた。…が、LUSHの店員さんにマスクとイヤホンなんて通用しない。

いつもと違う店舗だった事と商品のパッケージが変わった事で、パワーマスクを置いている場所が分からずキョロキョロとしていたら、満面の笑みで店員さんが「何かお探しですか?」と近づいてきた。

とにかく私はパワーマスクさえ手に入ればそれでいい。さっさと買って家に帰りたい。店員さんに「パワーマスクを…」と伝えると売り場まで誘導してくれた。そしてパワーマスクを私に手渡し、レジまで誘導。

レジの前で「少々お待ちください」と言われたので待っていると、何故かその店員さんが固形石鹸を手にして私の隣にやってきた。そしてニッコリと笑顔で「どうぞ」と、その石鹸を私の鼻の前に持ってきた。

(嗅げと?)と思った。そういう事なんだろう。

仕方ないので嗅いだ。別に固形石鹸は欲しくない。私はパワーマスクを買って早く家に帰りたいのだ。お腹が空いているのだ。その固形石鹸は牛乳石鹸と同じくらい普通に良い香りだった。

「良い香りですね」と私は言った。別に興味は無い。でも、そう言うしかない状況だ。店員さんは「そうですよね^^これとても人気なんです」と言った。なんだこれ。

その後、また違う店員さんにレジで石鹸を勧められる。いやもう、いらないですから(´・_・`)

LUSHに限った事ではないけれど、店員さんが積極的なお店はたくさんある。洋服屋などは殆どそうだ。実際に店員との会話を楽しめるお客もいるし、店員の方から話しかけてくれる方が色々聞くキッカケになって良いと思っている人も多いようだ。

どのお店でも積極的に声をかけるようにと上が指導しているのだろうから、その方が売上が上がる実績があるのだろう。店員さんも好きで話しかけているわけではないのかもしれない。

それでも、石鹸を鼻の前に持ってこられたのは嫌だった。私が石鹸に興味を示すきっかけを作ろうとしたのは分かる。でもその押し付け感というか嗅がなければいけない状況も、強制的に「良い香りですね」と言わなければいけない状況も嫌だった。

パワーマスクは大好きで絶大な信頼を置いている。けれど、店員さんとの会話が苦手な私はLUSHに行くのは医者に行くのと同じくらい憂鬱で面倒だ。




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女性の話にはオチが無いからつまらない?…というか [性格の事]

「女性の会話はつまらない」と男性が言うのはよくある話。これは右脳や左脳がどーのこーの…と言われている(らしい)。

女である私も、時々女性の話は苦手だな…と思ったりする事もある。よく「女性の話はオチが無い」と言うけれど、私が感じているのは”オチ”の事ではない。そこには私の性格も関わっている。

私は”お喋り好き”な人に合わせる事が苦手だ。ここで言うお喋り好きとは、一方的に口を動かし続ける人の事。お喋り好きな人は喋るという行為自体が好き、もしくは性分なのだろう。どちらかと言うと女性に多い気がする。

そして私はと言えば、そういった人とは正反対で目的が無ければ喋らない性格。特に話題が無ければ沈黙でいい。

天気の話をしてでもコミュニケーションをとるべきかどうか考え方は人それぞれだけれど、私は特に話す事が無ければ黙っていたいという性分だ。脳が男性に近いのかもしれない…が、その点はよく分からない。

そんな私は話をする時に「目的や理由」が欲しい。一緒に笑いたい、一緒に楽しみたい、質問したい、相談したい、共感したい、知りたい、知ってほしい…目的は何でもいいのだけれど。

私のような性格の人は(というか私の場合)、その雑談をつまらないと感じても”相手がその話をする理由”が分かれば聞く姿勢になる。

でも目的が分からない話をされると「何でこの話をしたんだろう?」と、ただ不思議なだけで「早く終わらないかな~」と思う。

例えば「昨日空を飛ぶ夢を見たんだけど、途中で空から落ちちゃった」と言われ、そこで話が終わりだったら私は「へぇ~」と言いながら心の中で(で?)と思う。この話をした目的が分からないからだ。

でも「昨日空を飛ぶ夢を見たんだけど、途中で空から落ちちゃった。これって何かの暗示なのかな?」と”質問”という目的を持って話されたら(なんだろう?何か意味があるのかな?)と考えて私なりの答えを伝える。

夫が「仕事から疲れて帰ってきて、妻のとりとめのない話を聞くのがしんどい」というのもよく聞く話。私も夫の立場だったら辛い。

私のように目的もなく長々と話をする・聞くのが苦手な人間と、喋るという行為が好きでどんな内容でもコミュニケーションをとりたいと思っている人間が一緒にいると、どちらかが我慢しなければならない。

こういう2人は”聞いてもらう(あげる)時間”と”放っておいてもらう(おく)時間”を、お互いに作ればいいのかな…なんて、未婚で同棲経験もない私が想像で語ってみたりして。

オチのある話は面白いけど別に無くてもいい。でも私は、何の為に話しているのか分からない内容だと上の空になってしまうのです。そんな私はやっぱり一人が向いているのか…。そういえば私は、用事のない雑談メールもすごく苦手だ。




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