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言葉の裏を読んでしまうくせに社交辞令の裏は読めない [性格の事]

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11月中に会う予定だった女友達Yさんから昨日LINEで連絡が来た。滅多に人から連絡が来ない私のLINEが反応したのは正月以来だろうか。最近聞いていなかったスマホのバイブ音に、私は一瞬ビクッとなってしまって、なんだか1人で恥ずかしい。

Yさんからの連絡は「今月予定が立たないので、会えるのが少し先になりそう」という文言と、黄色の全身タイツを着た人が謝っているスタンプだった。残念だけど仕方ない。Yさんとは自宅が少し離れているし、休日も違うので会えるタイミングが合わない事もあるのだ。

だけど。

こういう時、私は無意識にその人の言動や文章の裏側を読み取ろうとしてしまう。「本当はもう私と会うのが面倒になったんじゃないか。会える日をあやふやにしているのかも」…と。こうして客観的に考えると、我ながらバカバカしい思考だなと思う。そう考えるという事は、私はYさんを信頼していないという事じゃないか。

こういう思考になったのは今よりずっと若い頃、女子高時代の女友達が急に私から離れてしまった事がきっかけになっていると思う。離れていった原因は分からないけれど、私が随分自分勝手だったのだろう。

彼女に電話をしてもそっけなく、早く切りたそうな態度。街で偶然見かけたので声をかけるも、彼女は友達だったとは思えない程よそよそしく、無表情でお辞儀だけして足早に去っていってしまった。

36歳になった今でも、あの子と仲直りする夢を見てしまう。

そんな経験があるからか分からないが、どうにも私は「嫌われたのかも」という思いが頭をよぎる事があり、その人の言動の裏側を見ようとする癖がある。別の本音があるのではないか?と勘ぐってしまう。もちろん口には出さないが。

そのくせ私は、社交辞令の裏にある本音が読み取れない。例えば「また今度、是非行きましょう」と言われた場合。「是非」いう単語が入っていると、私はそれを本音だと思ってしまう。

なぜなら、私は社交辞令で「是非」は使わないから。私なら、行く気が無い場合「では、また」程度の挨拶で止めておく。私の主観で考えると「是非」は社交辞令ではないのだけれど、世間はそうではないらしい。

その辺がよく分からなくて社交辞令を真に受けてしまい、私から男性を2~3度誘うも全て断られ、そこでやっと「あ、あれは社交辞令だったのか」と気付く。…という恥ずかしい思いをした事がある(/-\*) 他人の言う「今度是非」は全て一旦、社交辞令と捉えた方が良さそうだと学んだ。

こんなふうに言葉の裏をネガティブに読んでしまうくせに、社交辞令は見抜けない…という私の面倒くささ。嫌だわ。

そんなこんなで私は思う。

他人の言葉の裏をネガティブに読もうとする事は止めなければいけないし、自分も他人に対してなるべく裏のある言葉は使いたくない。社交辞令もなるべく使いたくない。でも時と場合によっては、言葉の裏を読まないと「空気が読めない人」とされてしまう事もあるので厄介だ。






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